第854回 「とくし丸のお得意さん」

6月8日

皆さん、「とくし丸」をご存じですよね。そう、あの移動スーパーのとくし丸です。

先月TBSの番組でも取り上げられていましたが、スーパーの超大型化と郊外化で、近所のスーパーが撤退し、日常の買い物に不自由している人たちが増えてきています。今や買い物困難者は全国で825万人もいて、その救世主になっているのが移動スーパーです。近隣にスーパーがない地区や山間部の高齢者など、買い物に行くのが難しい人たちの家を一軒一軒まわる対面販売スタイルは、ありがたいサービスでしょう。

中でも「買い物困難者のニーズに100%応える」ということで、全国売り上げナンバー1の移動スーパー販売員、高知のとくし丸の谷平さんという方が密着取材を受けていました。「ご年配の方は、あまりたくさんは食べられないから、本当にいいものをだけをちょっと食べる」ということで食品は小さめサイズを選ぶとか、買い物代行もするとか、お客さんの誕生日プレゼントまで!実に細やかな心配りでサービスを行っているのが印象的でした。

そして、実は非常に身近にとくし丸のお得意さんがいるのです。

ジャーン、久々の登場、長女の涼歌(すずか)です。32歳になりました。
実は通っているデイサービスの近くに毎週火曜日 とくし丸が来るので、買い物に行くのが彼女の楽しみなのです♪

ご近所の方もいらっしゃっています。常連さんなんでしょうね。

涼歌にとってとくし丸がいいのは、来てくれるのはもちろんですが
「商品が選びやすい品数で、車椅子でも見やすい目線だから」ということでした。確かに、大きなスーパーだと商品が多すぎて かえって選びにくいのでしょうね。そういうことって多分、少なからぬ高齢者の方も同じかもと思いました。

世はネットショッピングが花盛りですが、買い物って、実際に商品を見て感じたりさわったり迷ったり選んだりするのが、日常のちょっとした楽しみでもありますものね。

ちなみに涼歌がこの日に買ったのは、
牛乳、野菜ジュース、アップルパイ、おつまみのイカソウメン。(笑)
ニコニコでした♪

商品仕入れは地域のスーパーから行っているそうで、冷蔵庫付きの軽トラックには生鮮食品も含め、何と400品目以上を積んでいるそうです。また、買い物だけに止まらず、スタッフは地域の「見守り隊」としての役目も目指しているそうです。

地域の高齢化や運転免許の返納に伴い、移動スーパーはこれからますます なくてはならないサービスになっていくことでしょう。

第846回 「新聞の葬式と土佐人の気概」

4月11日

突然ですが、この4月から高知新聞で「新聞と読者委員」を拝命することになりました。
今年の初めにお話を頂いたとき、「え?なんで私が」と戸惑ったのですが、ある記者さんのご推薦を頂いたことを伺い「それは頑張らなければ」という気持ちに変わりました。ご期待を寄せて頂けるのは、本当にありがたいことです。

まずは春の新聞週間に合わせて、新聞に対する思いを語ってくださいとの原稿をご依頼頂きました。文量は1200字、原稿用紙3枚分です。軸が決まれば多分書けると思うのですが、何を書こうか…ずっと迷っていました。そんな時、「そうだ、あれだ!」とひらめいたものが「新聞の葬式」です。

庶民が政治参加を求めたのが自由民権運動ですが、その最盛期が明治15年。明治政府は当時、この運動の盛り上がりを恐れ条例で厳しく取り締まり、自由民権運動に大打撃を与えました。民権派の新聞は何度も発行停止処分を受け、新聞の編集長や印刷長も処分されたそうです。

決定打となったのは明治15年7月14日、「欽定憲法ノ不善ナルヲ論ス」との記事で、ついに高知新聞は発行禁止処分となりました。人間で言うなら死刑宣告です。しかし、それに負ける高知県民ではありませんでした。それに対抗して出された新聞広告がすごい。

「我ガ愛友ナル高知新聞ハ一昨十四日午後九時絶命候ニ付本日午後一時吊式執行仕候間愛顧ノ諸君ハ來會アランヲ乞」
親愛なる高知新聞は一昨日14日の午後9時に絶命した。よって本日午後1時に葬式を行うので、ごひいきの皆さんは来て欲しい、という意味でしょう。高知自由新聞社は発行停止処分を受けた時の身代わり新聞です。高知の民権派は「言論・集会の自由」を封じようとする弾圧に抗議するため、前代未聞の「新聞の葬式」を行うことにしたのです。

そして明治15年7月16日、日本初の新聞の葬式が行われました。(ちなみに仏式だったそうです)発禁号の新聞を棺に入れ、7月の暑い最中に忌中笠の壮士、提灯、位牌、僧侶、記者、愛読者が、高知新聞社のある本町から五台山まで葬列を行いました。直線距離でさえ4kmはあります。その気概もすごいですが、もっとすごいのはそれに5千人もの高知県民が参列したことです。テレビニュースもない時代に、朝、新聞を読んでその当日に5千人も集まるなんて!それだけ、自由民権を求める県民の思いは熱かったのでしょう。

この後、代わって発行された高知自由新聞も7月21日に発行禁止になり、2回目の新聞葬を行ったのですが、会葬者はなんと倍の1万人にも上ったそうです。今でも1万人のイベントなんて、当日に呼びかけてそうそうはできませんよね。

五台山には上り口に、「新聞の葬式」の記念碑が建っています。
1996年7月16日に高知新聞社や高知市立自由民権記念館などが建てたようです。

20年あまりの年月で風雨に洗われ、文字が薄くなっているのがいかにも残念です。

当時の庶民の識字率は男性が6割、女性が4割。つまり半数は新聞が読めなかったのです。と言うことは、情報を得るためにはそこに人が介在したということです。今は個人で動く個人型の社会ですが、当時はチーム型の社会と言え、だからこそ、多くの民衆が新聞葬に参列したのでしょう。

取り締まりや政府の弾圧をも恐れずに行動した明治の土佐人の不屈の闘志と気概、民衆の熱気には、胸を打たれました。自分もこうありたい、と強く思いました。

第832回 「2018年をふり返って」

12月30日

平成最後の年の瀬に、来し方をふり返っています。2018年も終わりますね。
大阪や北海道で大きな地震が起こり西日本豪雨などもあった「災」の年でしたが、皆さまはいかがお過ごしでしたか。

私は今年、LABプロファイルの上級クラスを講師仲間の八重田さんと共同開催という新しい形でチャレンジできました。全国的に見ても目新しいLABプロファイルにこういう形で関われたことは、学びの意欲が高い受講なさった方々と八重田さんのお陰さまで、本当に感謝しています。

実は私にとって50代最後となった今年なんですが、交流分析、NLP、LABプロファイルに続く新たな心理学の扉を開けることができました。4月に東京でポジティブ心理学の創設者 セリグマン博士から直接学ぶ機会を頂け、新たな仲間もできたのです。

世界が広がるのは若い人たちの特権だと思いがちですが、決してそうではないなぁと遅まきながら感じています。私は元々インドア派で旅行は嫌い、高知が大好き。障害を持つ娘の介護があり家を空けられない事情もあって、40代半ばから無理せず交流分析をコツコツ学んで来たのですが 研修で心理学の有用性は年々実感が高まりました。

そこで50代半ばで別の心理学も学びたいと一念発起、ビジネスに有効な心理学NLPを学びに大阪や東京へ出かけるようになりました。娘も成人し、数日ならショートステイに預けられるようになったことも大きかったです。知り合いゼロの中へ飛び込んでみると行動力と人間力が高い方々に出会え、昼夜 共に学ぶ中で、まるで新たに大学に入り直したようなつながりを得られました。

言葉で影響を与えられるLABプロファイルにも、その時に出会えました。この年になってもというかこの年だからこそ思い切って新しい世界に飛び込んでみて良かったと思えます。

こうして 何歳になっても学びに遅すぎることはないと思えたことが、今年のポジティブ心理学への推進力になりました。

ところでポジティブ心理学でセリグマン博士は、ウェルビーイング(持続的な幸せ)を築くために「PERMA(パーマ)」の5大要素を説いています。

P:ポジティブな感情Positive emotion
E:夢中になる状態Engagement
R:良い人間関係Relationships
M:人生の意味や意義Meaning
A:達成や成功Accomplishment

前向きな感情を持ち何かに夢中になれ、良い友人と生き甲斐を持つことが、達成につながる。これを実感させて頂いた2018年でした。
さて、来年は何をしようかな?

実はもう決まっています。2019年も4月に、ポジティブ心理学の大家の先生方が来日、講座を開講予定なのです。しかも今度はセリグマン博士だけでなく「ハーバードの人生を変える授業」で有名なタル・ベン・シャハー博士もワークショップをなさるとか。わぁ、楽しみ!頑張って貯金しなきゃ。(笑)

さてウイークリーNは、年明けの1月6日は年に一度のお休みを頂きます。
それでは皆さまも、どうぞ良いお年をお迎え下さいませ。