第760回 「宿毛歴史遺産③ 河戸樋管」

8月13日

突然ですが皆さん、「河戸樋管(こうどひかん)」ってお聞きになったことはありますか?宿毛市に残っている現役の歴史遺産ですが、私も聞いたことがありませんでした。

今年の春、「とさぶし17号 特集その5 東宿毛駅」という記事を読んで、初めて知りました。「堤防には今も当時の河戸樋管(こうどひかん)が残っています」という文章と、右から書かれた文字を見てみたい思いが強く残りました。

樋管とは、用水流入や内水排除のため堤防を貫通して設置 される暗渠(あんきょ:外から見えない水路)です。昭和二年(1927年)と90年も前の古いものらしいので、ネットではこれ以外に情報が見つからず、宿毛歴史館の方にも尋ねたのですが場所もわかりませんでした。

そこで、宿毛市に行った際  堤防近くをうろうろしていると、記事で見た水路を偶然 発見!県道4号線の「Osakaya」という写真右手のレストラン沿いです。

この奥に、きっとあるに違いないと信じて行ってみます。

小さな水路に出ました。
この奥にきっと河戸樋管がつながっているはずです!

そこから北に歩くこと150mほど。
少し心細くなってきた頃に水色の昔ながらの小さな可動堰?を発見。
「おお~」と見つめると…

その先に、河戸樋管がありました!

日本古来の右からの書体。近代建築に通じる時代を感じます。
もう90歳ですが、まだまだ現役のおじいちゃんですね。
嬉しくなっちゃいました。

この堤防の向こうは、松田川なんです。
河戸樋管の上には、記念碑?が建っていますが…

文字がもう溶けてしまって、読めません。

左手に石碑が建っていますね。場所が特定できてからわかったのは、宿毛歴史遺産①でご紹介した宿毛城跡から、堤防沿いに南に150mほどの所だということと、

松田川にかかる大きな堰(橋にもなっている)のすぐ南だった、ということです。

これでお読み下さっている皆さまも足を運べますね!
いや、そこまで興味はない?ごもっともです!(笑)
でも私にとっては 宿毛市に埋もれていた遺産を皆さまにご紹介できて、嬉しさが残る取材でした。

第759回 「しまんと市民祭、迫力の提灯台!」

8月4日

先日、毎年恒例の四万十市での研修がありました。

見慣れた赤鉄橋が鮮やかにお色直しされ、夏の陽ざしに映えていました。20数年前にはこの橋のたもとに住んでいたこともあり、懐かしい景色です。

研修が終わると、「今夜はお祭りがありますよ」と教えて頂きました。四万十市と言えば「土佐一條公家行列 藤祭り」が有名ですが、あれは5月だったような?…
夕食後に商店街に立ち寄ってみると、いつになくすごい人ごみです。

夜店も出て、とってもにぎやか。「しまんと市民祭」と言うそうです。
後で市役所に伺うと、例年通り1万6千人ほどの人出だったそうです。

商店街を通ると、ちょうどよさこい祭りの地方車のようなトラックが通り「具同提灯台(ぐどうちょうちんだい)」とありました。見ていると…

何これ!?灯りをともした提灯台を担いで、男性陣が勇壮に練り歩いています。
そして辻に来ると、ぐるぐる提灯台を回すパフォーマンス。その迫力にビックリ!

「提灯台パレード」と言うそうです。今までまったく知りませんでしたが、見ていると次々に違う提灯台が通りかかります。
こちらは「大橋通提灯台」チーム。法被と提灯の赤が鮮やかです。

四国電力グループ。それぞれ、提灯台の色やデザインが違うんですね。
皆が口ずさむ唄が耳に残ります。でも言葉はよく聞き取れません。

「姉モセー 妹モセー ササーナンデモセー」

このサビの部分は耳に残るんですが、意味がわかりません。
残念ながら、市役所の職員さんもわからないとのことでした。

フジグラン四万十チーム。法被が紺で、粋でした。だいぶ見慣れてきました。

と、明らかに今までとはまったく違う、提灯台ではないチームが登場!
「太鼓台」と書かれた法被のチームです。

その名も「太鼓台保存会」。10台出る提灯台に対し、太鼓台はこの1台だけです。
色とりどりの紐結びが、幻想的に浮かび上がります。通りすがりのおじさんが「これは値打ちがあるけん」と教えて下さいました。

興味を持って、高知に帰ってから調べてみました。

そもそも提灯台は、一説には1467年(550年前)、前関白の一條教房公が中村に下向し、京都の祇園祭を模して始めたとも言われているそうです。す、すごい歴史があったんですね!昔は地区ごとに提灯台を構え 練って歩いたそうですが、今はそれが企業に代わっているというわけです。

子ども太鼓台も後をついて行きます。残念ながら人混みでほとんど見えませんけど、こういう体験が後進を育てるんですね。

太鼓台のチームのある下田は、四万十川の河口の町です。市役所の職員さんによると夏祭りの太鼓台の巡行は、160年前の江戸時代から伝わっているのだとか。

布に籾殻を詰めた飾りの太鼓台は 提灯台よりも数倍重く1トン近いそうです。下田の太鼓台は江戸時代に大阪の堺から購入してきたものと伝えられているそう。一説には、港町として栄えた下田の気の荒い男達の間で喧嘩が絶えないので、新しい祭事を始めて収めようとしたとか。

川村慎也さんという方の「はたのみち草 第8回 下田の 太鼓台」という記事に詳しく書いてあります。下田の町を太鼓台が練って行く様をぜひ見てみたい!という思いが湧くほど、素敵な記事でした。

このお祭りが終われば、四万十市にも夏がやって来ます。

第748回 「幕末維新写真展」

5月21日

高知家では3月から「志国高知 幕末維新博」が開幕しました。幕末維新期の土佐の歴史を巡り、維新の息吹を感じとって頂くものです。場所は、新しくオープンした高知城歴史博物館と坂本龍馬記念館の2つのメイン会場、加えて各地域における幕末維新の志士ゆかりの歴史文化施設など20の地域会場があります。

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その会場の1つである宿毛市歴史館で行われている「幕末維新写真展」を見に行きました。全国でも貴重な幕末から明治にかけての多くの「ガラス湿板写真」を展示するというもので、ちょっと面白そうと心が動いたのです。会場は、宿毛文教センター3階の宿毛歴史館。

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幕末維新写真展は、幕末から明治にかけて撮影された貴重な写真を展示していました。撮影はOKだけど、フラッシュは禁止とのこと。きっと光による劣化を避けるためでしょうね。

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リアルな着物と髷(まげ)の形。当時の人々の息づかいまで聞こえそうです。
右の写真ケースの裏には、「慶応二年六月一五日 三橋樓 仲居 政女 三浦屋店妓女 君子」と書かれていました。なるほど、襟の合わせ方などがゆったりとしていて、いかにも仲居さんや芸妓さんだなと感じました。

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これは京都で新発見された、堀与兵衛撮影の写真。(初公開)最近、こうした仲居さんと一緒に写真に写った志士の写真などが新たに発見されていますよね。「歴史上の人物」といった感じではなく、なにか親近感を覚えます。

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当時の肖像画と、写真を対比して見るのも面白いものでした。
こちらは明治天皇の皇后、昭憲皇太后の肖像画です。華やかですね~。
そして昭憲皇太后の御真影は、こちら。

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やはり写真になると、ぐっとお一人の人物像を感じます。
肖像画は衣装の華やかさが前に出てくるのに対し、ご真影はお顔立ちから毅然となさったお人柄まで忍ばれるようにも思います。

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坂本龍馬の写真3点もありました。いずれも慶応三年に撮されたものです。

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中でもこの写真は、龍馬の雰囲気がよく伝わってきます。
現存する龍馬の上半身写真では、非常に鮮明に写っているものだとか。
明治期を代表する写真師、成田常吉が複写したものです。

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日本画家、公文菊僊(くもんきくせん)が描いた龍馬の肖像画もありました。右の写実的なものから左のデフォルメされたものまで、年代で比較できるのも面白かったです。そういえば亡くなった大伯父の家にも、真ん中の肖像画に近いものがあったなぁ。

もっと面白いのは、公文菊僊は龍馬の死後の画家で、幕末維新期に撮影された龍馬の写真を参考にしたということです(笑)。菊僊が筆を持ち始めた頃には実際の龍馬を知る人がまだ健在であったため、聞き取りをして肖像画を完成させたとか。

わかるわ~、明治生まれだった私の亡くなった祖母からは、「龍馬は小さい頃には寝小便たれやった」とか、まるで近所のおじさんのことのように聞かされたので。(笑)土佐人にとって龍馬は偉い「センセイ」ではなく、隣にいる身近な友人なのだな、と改めて感じたのでした。

なお「幕末維新写真展」は、宿毛市での展示は5月21日(日)で終了しましたが、中岡慎太郎館(北川村)で7月12日(水)~9月4日(月)まで開催予定です。