第728回 「スーダラ節から、人生を学ぶ」

12月24日

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今年目にした広告の中で、最もインパクトがあったもの。
AC(公共広告機構)の「ライバルは、1964年。」というものでした。

あの頃の日本人に、笑顔で負けるな。
見る夢の大きさで負けるな。
人を思いやる気持ちで負けるな。
くらしの豊かさだけじゃなく、こころの豊かさでも、ぜったい負けるな。

ライバルは、1964年。

この文章と、1964年当時の日本人の笑顔の切り抜きで囲まれている新聞広告に、一目で心を奪われました。(写真は上のACのサイトで見られます。)2020年の東京オリンピックに向けて、初めて東京でオリンピックが開かれた年をライバル視したCMです。確かに高度経済成長期の日本は今と比べると貧しかったのですが、世相はもっと明るく、心豊かで希望に満ちていたように思います。

そして広告の中でひときわ底抜けの笑顔だったのが、植木等さんでした。

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当時は幼児だった私ですが、植木等さんのグループ「ハナ肇とクレージーキャッツ」がテレビや映画で一世を風靡していたのはよく覚えています。

先月ふと思いつき、植木等さんのCDを借りて初めて聴いてみて、爆笑!すっかりはまってしまいました。「無責任一代男」「ホンダラ行進曲」「遺憾に存じます」など 故・青島幸男氏の歌詞のインパクトもすごいのですが、底抜けの明るさで軽妙な歌詞を表現していく、植木さんの肩の力を抜いた歌い方は職人芸とも言えます。

ともすれば「スーダラ節」の「スイスイ スーダララッタ スラスラスイスイスイ~♪」の一節ばかりに注目が集まりますが、私は「だまって俺についてこい」という歌にまず惹かれました。今なら時代錯誤的な歌詞と思われそうですが、いきなり

「ぜにのないやつぁ 俺んとこへこい!」

歌い出しからの頼り甲斐がハンパじゃない!しかも、

「俺もないけど、心配すんな」

は??

「みろよ 青い空 白い雲~、
  そのうちなんとか なるだ~ろおぉ~~(笑)」

もう、爆笑でした。いや、素晴らしい!いっぺんでファンになりました。
確かに当時はお金がない人も多かったけど、人との助け合いでなんとかなった良き時代背景があるんでしょうね。また植木さんの歌い方が、歌詞にピッタリなんですよ。

夜、ふと不安を覚え眠れなくなるような時に、植木さんの歌「ウンジャラケ」を思い出し「月曜日はウンジャラケ~♪」などのフレーズがよぎると、それだけでおかしくなって笑えてきて、心がスッと軽くなり眠れる…といった思いがけない効能も。(笑)

(以下はWikipediaよりの情報のまとめです)
「無責任男」として有名になった植木等さんですが、実は植木さんのお父さん、植木徹誠(てつじょう)氏は、浄土真宗の宗派の住職でした。被差別部落出身ではないものの部落解放運動の活動家で、投獄されても反差別と反戦を貫いた社会運動家でもあり、「等」という名前は父が「平等」にちなんで名づけたそうです。少年時代の等さんは、投獄された父に代わって僧衣をまとい檀家を回るという生活を送ったとか。

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実はイメージと違って、植木等さんは自他共に認める真面目な性格だったそうで、「スーダラ節」の楽譜を初めて渡された時には、「この曲を歌うと人生が変わってしまうのでは」と真剣に悩みました。父親に相談すると「どんな歌なんだ?」というので、等さんはスーダラ節を歌いました。

 チョイと一杯のつもりで飲んで
 いつの間にやら ハシゴ酒
 気がつきゃホームのベンチでごろ寝
 これじゃ体にいいわきゃないよ
 わかっちゃいるけどやめられない

 スイスイ スーダララッタ   スラスラ スイスイスイ~・・・

激しい正義感の持ち主の父の前で歌ったあまりにふざけた歌詞に激怒されると思いきや、父は「すばらしい!」と涙を流さんばかりに感動したとか。

唖然とする等さんに父は、「この歌詞は、親鸞(しんらん)聖人の教えそのものだ。人類が生きている限り、このわかっちゃいるけどやめられないという生活はなくならない。そういうものを人類の真理というんだ。がんばってこい!」と諭し、等さんは歌うことを決意しました。このエピソードは、植木等さんが歌手として生きていく上での生涯の支えになったそうです。

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「やらなければならないことと、やりたいことは違う。」
後に植木等さんはそう語ったそうです。まさにこれも、人生の真理。

いやー、スーダラ節から思いがけず、人生の深みを学びました。
今は亡き植木等さん、素晴らしい歌を残して下さって ありがとうございました。

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