第750回 「言葉を足して」

6月3日              中村 覚

「40回目の誕生日に~♪」と始まる浜田省吾さんの「MY OLD 50’S GUITAR」という歌を初めて聞いたのは中学3年生ぐらいでした。きっかけは9歳上の兄の影響です。曲調がとても好きでカセットテープで際限なく聴きました。ところが何回聴いても、出だしの「40回目の誕生日」のフレーズには格別、感情移入ができませんでした。二十歳にもなってなかった当時の私にとっては、まだまだ先のこと過ぎたのです。そんな私も今週で40歳になり、とうとう歌の世界に追いついてしまいました。

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じゃあ、「実際に40歳になってみて、いかがかな?」と言われましても、まだなりたてホヤホヤ、実感がありません。「ざっと見積もって、人生、半分ぐらい来たんじゃないの? ゆっくり腰を落ち着けて、今後の展望は?」 そんなことを言われても、いつだって未来は読めません。

20歳、30歳、今までの区切りの誕生日の時も、未来に対しては同じような感覚だったのではないかと思います。でもこれまでと明らかに違うのは、過去の記憶がおぼろげになり、昔のことは すりガラス越しの風景にどんどんなりつつあることです。これには手応えを感じます。

ところで毎年この時期は、将来 リハビリの先生になる学生の皆さんと接する機会を頂いております。皆さんからのご質問に対して、これまでの私の体験を踏まえてお答えするというものです。色々なご質問がある中、「学生の時に言われて嬉しかった言葉がけは何ですか?」というのがありました。今の自分たちの年齢を踏まえての自然に出てくるご質問だと思います。

それを受けての私自身はというと、学生の時…んぅ~ 軽く20年前で、どんどん薄れ行く記憶の彼方です。しかも 人間 勝手なもので、嫌だったことは比較的覚えていますが、嬉しかったこととなると 忘れがちです。

何かなかったかなぁと脳ミソを絞り上げます。不意に出てきました。高校生の時のソフトボールの試合のことです。私は高校になってからは体育の時間は全て見学でしたので、ソフトボールも同様、試合を見ていました。そんな私のところに同じクラスの尾木君がやってきて「中村君、バッターボックスに立って、打つだけ打ってみないか?」と言うのです。「(もし)ヒットを打てたら、僕が中村君の代わりに走るから。」と。

私はビックリ!でした。親切な言葉にも もちろんですが、実はこの尾木君とは日頃から親しいわけではなく、話もそれほどしたことはありませんでした。クラスメイトではありましたが、友達ではなかったんです。それなのになんてことでしょう!(嬉)この時、同級生を初めて「カッコ良いな!」と思いました。男前とか、背が高いとか、そういった外見的なことではなく内面のカッコ良さです。この人、どれだけ優しいんだっ!

今、考えてもあの時の尾木君の優しさは「高校生離れ」していたと思います。

ところが、私は尾木君の気持ちが本当に嬉しかったにも関わらず、ただ「ありがとう…、でも いいわぁ。」と断りました。なぜかと言うと、 この時 仮にバッターボックスに立ってヒットを打てたとして、その後 一塁向けて尾木君に走ってもらう。 それは「良いトコ取り」だと思ったんです。この「良いトコ取り」だけしたくなかった。

今考えると、尾木君の親切に対して 自分の気持ちの説明が何もできておらず、たいへん失礼なことをしたと思います。尾木君が今も付き合いのある友達だったら、「(この歳になって改めて)いや実はあの時は~」と聞いてもらいたいのですが、今、どこで何をしているのかもさっぱりわかりません…。

人に親切にしてもらった時には、言葉を足して相手の方に気持ちを伝えてほしいと思います。私みたいにならないように。