第682回 「厳しさの役割」

2月4日

f61518a4336f274d68b9ce34090c8725_s

最近、入社3年以内で半数がやめると言う高校生の早期離職を防止するための取り組みが色々と行われています。私が就職講座で伺っているある高校でも、入社前のこの時期に2日間のビジネスコミュニケーション講座のご依頼を頂きました。

現在、新たな高校の就職講座のご依頼は多忙のため辞退させて頂いているのですが、こちらの高校だけは先生と生徒の皆さんがとりわけ熱心でいらっしゃるので、もう10年ほどご縁を続けさせて頂いております。

ところが今回 1日目の講座の途中、最前列の男子生徒が居眠りをしていました。学校の先生に注意されて起きたのですが、しばらくするとまたウトウト…。なんでもこの日は学期試験の最終日だったとのことで、きっと遅くまで試験勉強をしていたのでしょう。

でも、講座内容は「入社してからのビジネスコミュニケーション」についてです。居眠りはもっての外、仕事では通用しません。私が注意すると彼は「すみませんでした」と座ったまま言いました。これはお詫びの実地訓練として、良い機会です。

まず、「お詫びというものは立ってするものです。立ちなさい」と言い、「すみません、はお詫びの言葉としては軽すぎます」と指導。

①まずお詫び。「申し訳ございません。」の言葉を使うこと
②それから なぜこうなったかの説明をし、
③最後にきちんとおじぎをすること

を教えました。彼は素直に実践したので、それで良しとしました。

ところが彼は、最後30分のところで、三度めの居眠りをしたのです。瞬間、これは厳しく指導すべきだと思いました。「◯◯君、寝るんだったら出て行きなさい!」とピシャリと言いました。彼は呆然としていましたが、どうしたら良いかわからなかったのでしょう、再度の「出て行きなさい!」に気圧されて荷物をまとめ、すごすごと出て行きました。

講座後彼には就職アドバイザーのYさんを通じて、明日の講座前に原稿用紙2枚の反省文を提出し面談することを、敬語のテストの課題と同時に伝えたのでした。

私は最近、注意したことに対し「ただ単に頭を下げて形式としてお詫びすることで許す」というのは何か違うんじゃないかと違和感を覚えるようになりました。そこで、講義を休んだり注意されたことをくり返したりで叱る場面では、あえて厳しめのペナルティーを与えるようになりました。どうも、そういう厳しさの役割が回ってきている感じがするのです。

そして2日目。講座開始前にYさんが彼の反省文を持ってきて下さいました。入室してもらうと彼は、昨日教えたとおりにきちんと立って「昨日は、申し訳ございませんでした!」と深々とおじぎしました。

「先生にああやって言われた時も、本当やったらお詫びの言葉をちゃんと言わないといけないのに、言えませんでした。本当に申し訳ありませんでした」ときちんと謝ってくれました。そのまま、反省文を読んでもらいました。

一番後悔したことは注意されて出て行けと言われた時に、何も言わずに出たこと、一言でもお詫びの言葉を出していれば…、と綴っていました。

さらに、「自分のしたことで高校の皆にも迷惑をかけてしまったことがわかり、それは講座で学んだ問題のある新入社員の事例と同じと気づいて申し訳ない気持ちで一杯になった」と言ってくれました。そこまで気づけば上等です。

あと1ヶ月で社会に出て行く彼は、もう二度と同じ失敗はしないでしょう。素直なお詫びの言葉を聞けて、私も嬉しくなりました。

「今日は真面目にやりますので、先生、見ていて下さい。」
「わかった、じゃあ見てるからね!」

彼は本当にその後は最前列で眼をランランと輝かせながら、受講してくれました。「人は、壁にぶつかるからこそ成長する」ことを実感しました。2日間の講座の締めで、彼を指名しあいさつをしてもらうと、みんなに「昨日は本当に申し訳ございませんでした。」と頭を下げ、私にも改めて頭を下げました。

キッパリとしたその態度は逆に好感を覚えたくらいです。「失敗した時に逃げずにちゃんと責任をとることが大事なんだ」と、同級生達にも学びになったことでしょう。彼は潔く頭を下げて、男を上げたのです。

最近は、大人でも謝り方を知らない人が多くなっています。
人間、誰しも長く生きていると何らかのミスをしてしまうものです。その時に、どう謝るのか?それこそ、人間力が問われる課題なのですね。私自身も、他山の石(自分の修養の助けとなる他人の誤った言行)とします。