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第321回●2009年1月18日(日)

 「50歳記念 台湾同窓会旅行A」

 さて、2日目です。朝8時半にホテルを出発。龍山寺という、由緒正しい観音菩薩のお寺に参拝。たくさんの参拝客が訪れ、その祈りの声がまるで音楽のように響いて、不思議な感じでした。
 鄭くんに「お正月なのでこんなに人が多いの?」と聞いたら、「いや、ここはいつもこんなに多いんだよ」とのこと。
 境内では80歳を過ぎたおじいさんが「私は昔、東京に住んでいたよ」と日本語で話しかけてくれました。親日家が多いことを肌で感じ、嬉しかったです。

 次に、中正紀念堂へ。元総統・蒋介石の像や音楽ホールなどがあり、台北のシンボルとも言うべき建物だそうです。門には「自由廣場」の文字。政権政党が変わるとここの名称が変更になったらしく、2007年には「中正紀念堂」から「台湾民主紀念館」へと名称変更、2008年に政権が再び国民党に移ったことから、再び「中正紀念堂」になったとか。
こういういきさつを聞くと、外国なんだなあ、と感じました。

 市場で朝食後、忠烈詞へ。戦争で亡くなった33万人の兵士がここに祀られています。1時間ごとに儀仗兵(衛兵)の交代式があり、運が良ければ見られます。地元の鄭くんでさえ「初めて見た」という、 交代式に偶然出会えてラッキーでした。瞬きもせず、機械仕掛けの人形のように動く儀仗兵に異国情緒を感じました。
 それから、国立故宮博物院に行きました。フランスのルーブル、アメリカのメトロポリタン、ロシアのエルミタージュと並んで世界四大美術館の一つで、清代までのアジアの芸術品が集められている博物館です。2007年にリニューアルオープンされたようで、真新しい建物でした。
 短時間で館内を回ってもわかりやすいように見せる工夫が施されており、博物館というよりも軽いミュージアム、といった感じでした。
 お約束の集合写真です。集合するときは必ず「みんなぁ、おるー?」「◯◯は?」とか、昔のニックネームで確認し合う温かさが同窓会らしくほのぼのしてて、また良いのでした。
 豪華絢爛な中国式建築の圓山大飯店(グランドホテル)にも行ってみました。ここでは飯店というのはレストランではなく、ホテルの意味です。各国首脳も泊まる高級ホテルですから、ロビーも豪華です。当然見学のみ。
 ここに5つ星と共に貼ってあった文章が面白いので、書き出してみましょう。台湾語、英語、日本語で書いてあります。
「圓山ホテルをご光臨賜ることを歓迎します!5つ星の国際飯店のイメージはお客様とともに守りたいと思います。ふさわしい容貌と挙止(原文のまま)は最大の支持と激励で、圓山ホテルはお客様に心より感謝いたします!」
…すみません、何を言いたいのかよく分かりません…。(笑) 英語の方がわかりやすいかも。

 お昼は日本にも支店がある、有名な「県泰豊」で小籠包(ショウロンポウ)と台湾ビール。予約が取れないので、列を作って店の外でメニューを見て、オーダーしておきます。総勢13人なので、二手に分かれて座ることに。小籠包の老舗らしく、食べ方を日本語で説明してありました。これで180元(約510円)。さすがのおいしさでした。

 台湾式シャンプーってご存じですか?下見に行ってくれた友人達がお奨めだというので、(そうなんです!修学旅行みたいに、下見隊まであったんですよー。)みんなで行きました。首から肩をオイルマッサージしてくれ、なんとその場でシャンプー。でも、泡はまったく落ちません。洗い流し、ブローしてくれサッパリしました。旅行でこういうのがあるといいね!と好評でした。値段は300元(約850円)。女性7人で小一時間かかりました。
 台北の企業との合弁会社、新光三越でお土産を買った後、夕食。今夜は、北京ダックで有名な「陶然亭」でコース料理です。ここは鄭くんが一つだけの個室を予約してくれて助かったのですが、満席で、立って食べている人もいました。お昼もそうですが、日本語が聞こえ、やはり日本人は多いんだなあと実感しました。


 その後は腹ごなしに観光夜市を散策。狭い夜店や商店が、直線距離で400mくらい続いています。羊の匂いか、独特な匂いが少ししていました。チープな商品が並ぶ中を、30分くらいかけて歩きました。真ん中にも屋台が出ているため、片側は人が2人並んで通れるかどうかくらいの狭さ。土曜の夜ということもあり、家族連れも多く見かけました。
 事前に「夜店では食べ物を買わないように」との注意を受けていました。日本人はこちらの水などで腹痛を起こしてしまうのだそうです。お店では漢字のお陰で、大体の意味は分かるので便利です。「西瓜汁」はスイカジュースですね。20元(約60円)という安さ。
 ここからタクシーで、ハイアットホテルのバー「Cheers」で最後の乾杯。薄暗く、最後の夜の気分を盛り上げてくれます。みんな楽しそうにほろ酔い気分でした。ホテルに戻り、まだ大丈夫な人たちは近くで足裏マッサージに行きましたが、さすがに爆睡してたとか。だって夜中の2時とかだし〜。みんな元気だわ。
 最終日、まだ暗い朝5:50に集合。鄭くんもほとんど寝てないと思うのですが、見送りに来てくれました。それにしても、気心の知れた13名での移動は楽しかったなあ。まさに中学校の修学旅行気分でした。

 ちなみに、鄭くんは小学校低学年の頃日本へ来て、中学校の時は日本語しかしゃべれなかったそうです。
彼が台湾に帰国した1973年頃は彼にとって大変な時代でした。1972年に田中角栄が日中共同声明に基づき、中華人民共和国(中国)と国交を結び、それまで国交のあった中華民国(台湾)には断交を通告したのです。台湾では反日の嵐が吹き荒れ、鄭くんは日本を懐かしく思っても、それを世間が許さない状況でした。彼は、どんなにか辛かったことでしょう。

 高校時代の文通でのこういった経緯を思い出すと隔世の感があり、つくづく平和の重みを感じます。今はこうして2つの国を何の問題もなく行き来できることが、本当にありがたいことなのだと感じずにいられません。

 帰ってから、鄭くんが「同窓会は、もしかしたら、3Aのお祭りかもしれません」という名文をFAXしてくれました。本当にそうだと思います。そしてこれからも、私たちはこのお祭りを続けていこうと思っています。鄭くん、皆さん、本当にありがとうございました。そして日本と台湾が、これからも友好関係でいられますように。

 
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