第904回 「まさかの発熱」

5月22日

先日のお昼前、長女の通うデイサービスより電話があり「38度の発熱があります」とのことで、あわてて迎えに行きました。夫に連絡を取り、すぐ病院に向かいました。

病院に入るため 日頃はしないマスクをかけさせると、ヒューヒューという喘息の息遣いまで始まり苦しそう。さらに心配が加速します。

車イスで入り口を抜けると事務のスタッフさんが3人立っていて、来院者全員に体温チェック。付き添いの私もです。

「発熱がありますか?」で「あります」と答えると、救急入り口に近い廊下に誘導されました。見ると、畳一畳くらいの小さな壁付きの区切りが数カ所に並んでいます。いわゆるコロナ外来ですね。もう一人大人の男性の方が隣にいらっしゃいました。

そこで、問診チェック。発熱はいつから、咳は、痰は、頭痛は、関節痛はあるか?いつから?など、本人に確認しながら、私が記入していきます。
改めて脇にはさむ形式の体温計で、きちんと測定。その後 顔なじみの先生に診察して頂き、CTやPCR検査、血液検査、尿検査などを一通りしました。(寝たきりなので、CTの寝台に寝かせるのも女性スタッフ4人と私で一苦労でした。)

1時間かからずに検査結果が出たのですが、結果は熱中症。
緊張状態が強いのが続いていて体の熱が中にこもり、脱水症状が進んでいたようです。やれやれ。喘息の息遣いは、緊張したからのようでした。

ヘトヘトで家に帰ると、なんとお茶を800mlもゴクゴク飲みました。
どんだけ脱水だったんだ!
「デイでちゃんとお茶を飲ましてくれる時に、しっかり飲まないから~!」との私のお説教付き。(笑)

それにしても、コロナじゃなくて本当にホッとしました。脳性麻痺で喘息などの呼吸器疾患を持っている長女がコロナにかかれば、命取りだと日頃から夫に言われていますから。その日は別の病院勤務だった夫も早く帰ってきてくれ、体温が下がってケロッとしている長女を見て、安心していました。

今回、図らずもコロナ体制にある病院を体験することになったわけです。本当は写真があったらより現場の雰囲気がわかりやすいのですが、さすがに私も現場で写真を撮るゆとりはありませんでした。

しかし テキパキと現場で仕事をしていく看護師さんやドクター、技師の方々を間近で拝見し、本当に頭が下がる思いでした。皆さま、心からありがとうございます。そして、どうぞくれぐれもお体にお気を付けくださいね。

第903回 「数」の話

5月17日              中村 覚

もう十数年前に石鎚山に登った時のことです。中腹辺りまで登った頃、腰を下ろしてゆっくり一休み。覚悟はしていましたが、松葉杖で山道を登るのは思っていた以上に疲れました。中腹に来るまでにも何度も小休止を取っていましたが、登れば登るほど だんだん休憩時間も長くなるというものです。

そんな時、行き交う登山客の中に4~5人の大学生(?)のグループが登ってきました。見るとその中の1人がちょっと大きめの透明のビニール袋にタバコの吸い殻を拾いながら歩いてくるのです。自分よりも年下なのに「えらいなぁ」と思いました。

ビックリしたのは ビニール袋の中は、半分以上吸い殻で膨れていたことです。さすがにそれを見ると、「山」に対してどこまで登れるのかということしか関心がなかった私でも 色々考えさせられました。

もしあの時、ビニール袋に吸い殻が4~5本しか入っていなければ、その様子は目に映っても そのままスル―して今となっては覚えていなかったかもしれません。それだけ吸い殻の量、数にはインパクトがありました。

そう言えば、「開運! なんでも鑑定団」でお馴染みのおもちゃコレクターの北原照久さんの著書「『おまけ』の博物誌」を読んで、今でも覚えている内容があります。北原さんといえば昔の貴重なおもちゃを良い状態でたくさんお持ちだというイメージではないでしょうか。

2003年に出版された本で書かれている内容はそれ以前ですから、今から20年ぐらい前でしょう。骨董市などに掘り出し物を求めて出かけた時、いつも目ぼしいものに出会えるわけではありません。でも不発に終わった時でも、そのまま手ぶらで帰るのはもったいない! そう考えた北原さんは当時まだ誰も関心を持っていなかった(戦前などの)古い少年少女誌や雑誌の付録などを買って帰ったそうです。

こういったことを繰り返す内にだんだんと数も増えてきて、50個、100個になってくるとジャンルや時代別に分けることができるようになり、立派なコレクションになったんだよ!と。

最初から北原さんが本腰入れてコレクションなさっている物とは別に、こういった「手ぶらで帰るのはもったいない!」がきっかけの買い物が、数が集まるとコレクションになる。この話は物事の可能性を示唆してくれているようで嬉しくなります。

「数を頼みに」とか「質より量」と言われるように、やっぱり数のインパクトたるや一目瞭然、単純明快。強烈です!

とは言え新型コロナ感染者の数だけは、もう増えて欲しくないものですが。

第902回 「きっとイエスと言ってもらえる」

5月9日

新型コロナウイルス終息の第一歩として、高知県も7日よりすべての業種で休業要請が解除されました。経済が脆弱な高知としては、まずはホッと一息ですが、気を引き締めて行かねば。

さて、今Facebookで本を紹介する「14日間ブックカバーチャレンジ」をしています。書庫の本を引っ張り出し色々と見ているのですが、これが結構楽しくて、あれを選ぶかこれにするか迷っています。コロナ禍の今、心が落ち込んでいる時に読むと勇気がもらえる本をご紹介しましょう。

「きっとイエスと言ってもらえる」(シェリー・ブレイディ、草思社)

アメリカで1960年代から長年にわたり売り上げナンバーワンだった家庭用品のトップセールスマンがいました。彼の名前はビル・ポーター。脳性麻痺で手足が多少不自由で、言葉もうまく話せませんでした。しかし「障害など、ひとつもない」という自分の価値観を曲げずに努力し、成功をおさめたのです。

ビルは1932年生まれ。両親は脳性麻痺のビルを施設に入れるよう勧められましたが、家庭で育てました。現代と違って障害児には世間も時代も冷たく、大変だったことでしょう。

大人になったビルは障害者手当で暮らすよりも、仕事をすることにこだわりました。紹介された仕事は障害のせいで荷物を落としたりして次々クビになり、州当局には「雇用不適格者だ、障害者年金をもらえばいい」と言われました。しかしくじけそうになっても、彼は負けるもんかと気持ちを奮い立たせました。

「何度も雇用局を尋ね、やっと自分がやりたかった家庭用品のセールスマンの仕事に巡り合えた。人はみんな、自分の能力を信じて、一生懸命働かなくてはならない。」

ところが受け持ち地区は貧困層で、セールスマンから物を買えるような余裕はなく、彼は来る日も来る日も不自由な足で歩き回ります。セールスをしていた頃のビルの日課は、

4:45 起床 左手がうまく動かせないため数時間かけて、靴下、ズボン、真っ白なシャツ、ブレザーを身につける。

7:20 バスに乗り、1時間あまりで受け持ち地区に着く

9:00 家々のベルを鳴らしていく。閉じたドア越しに「ごめんなさい」「興味ない」「帰れ」という声が聞こえる。何度断られようが、彼は諦めない。「次の家ではイエスと言ってくれる。次の家ではイエスと言ってくれる。」と何度もつぶやきながら、きっかり8時間まわるのだ。その数、1日に100軒。数ヶ月、時には数年にわたってドアをノックし続け、ついに顧客を獲得していく。

車にぶつけられて7針縫うケガをした時も、「仕事がまだ残っているから」と病院から受け持ち地区に帰り、結局また病院に運ばれるなど「愚直(バカ正直)」とも言える態度で仕事を続けました。それが結局、彼をトップ・セールスマンにしたのです。「500人のお得意さんの内40人は、何も要らないから二度と来るなと言った。それが今、一番のお客になっている。」

「自分にはこれがない、あれがないと考えるのではなく、自分が持っているもののことを考えましょう。そして、ベストを尽くすのです。私は今まで、そうやってきました。忙しかったり、能力がなかったりして自分でできないことがあれば、人を雇いました。」

ビルはネクタイも自分では結べなかったので、母親が死んだ後は他人の手を借りざるを得ませんでした。毎朝、靴ひもとネクタイを結んでもらいに、ホテルに通いました。人に助けてもらったとしても、決して半人前なわけではありません。商品の配達に雇った女子高生シェリーは、その後20年間以上仕事の助手となり、後に彼の本を書きました。

1997年、ニュース番組が彼を取り上げ、その後彼の人生は2時間ドラマにもなったのです。

「私には障害など、ひとつもありません」

障害、という言葉は彼の辞書には存在しません。「障害、とは目標の達成を完全に妨げるものをさすが、自分はいつも目標を達成してきたから、障害というものに突き当たったことは一度もない」と言うのです。

私がビルから学んだ「人生の指針」は、

  • 逆境を嘆かないで、前向きに生きる
  • 自分の資質を信じる
  • 誠実に行動する

私の長女も、ビルと同じ脳性麻痺です。残念ながら彼女の場合 自分で立つことも歩くこともできないため、とうてい仕事は無理でデイサービスに通っていますが、彼女なりに人生を楽しんでいます。今でこそサポートが充実し障害を持っても働くことが可能な社会になっていますが、人生の選択肢が多いのは 幸せなことですね。

働くことはごく当たり前のこととされて来ましたが、コロナ禍の今、働ける健康があるということは大変ラッキーなことだと、改めて思うのです。