第986回 「2021年をふり返って」

12月26日

皆さんにとって、この一年はいかがでしたか?
昨年に続き、今年も新型コロナや豪雨災害など自然の脅威に振り回され続け、大変だった2021年も残りわずかとなりました。

1年遅れた 東京2020オリンピック・パラリンピックでしたが、
「本当にやるの!?この状況で?」と半信半疑でした。

確かに金メダルは27個と量産されましたし、選手の皆さんの活躍は目を見張るものがありました。が…政府が国民の命や健康よりも、国際的なスポーツの祭典を優先したことに違和感を持たれた方々も多かったと思います。そしてその報道も全般的に腰が引けていたことが、ともかく残念でした。

また専門家も予想しなかった 心理的な緩みの影響でコロナが爆発的に感染拡大し、8月の第5波では医療崩壊、「自宅療養」というそれまで想像だにしなかった危機が、身近で起こる恐怖を味わいました。

しかしワクチン接種が進んだ効果なのか、その後は比較的感染が抑えられていました。ただ年末になってオミクロン株が市中感染し始め、今後どうなるのか予断を許しません。なんとかしのいで欲しいと願うばかりです。

長引くコロナ禍により経済は低迷し、なじみのお店が閉店するという新聞記事に、
何度「え、あのお店も!?」と心を痛めたことでしょう。人口の少ない地方では、厳しさはなおさらです。

研修業も、オンラインに置き換わったりなんとか生き残りを模索している状況ですが、そろそろ対面の研修(講義)に戻れないと、若い世代のコミュニケーション力の低下や心理的ストレスが非常に心配です。

「顔パンツ」という言葉をご存じでしょうか?
「いまやマスクは下着と同じで、付けないと恥ずかしくて外出できない」らしく。

マスクは、顔の大部分を覆い隠してしまい、コミュニケーションがとりにくくなります。ところが日本の若者の多くが「新型コロナが落ち着いても、マスク着用を続けたい」と考えているというのです。その理由は「マスクをしないと空気が汚く感じる」とか、あるいは…

「マスクをすると顔を隠せる」
「顔を見られるのが怖い」
「表情を読まれたくない」
「マスクがないと、恥ずかしくて街を歩けない」…

やめようとしてもマスクをやめられない、外すと不安が強くなるといった場合。
こうなると、もはや「マスク依存症」です。マスクは、他人との関わりを拒絶しているかのような印象になることもあるので、孤立を招く一因になってもおかしくありません。(もちろんマスクをしていても、普通にコミュニケーションがとれれば大丈夫)
コロナが原因で、こういった新たな問題も起きているのですね。

今年の明るかった話題と言えば、ヒットしたアニメ映画「竜とそばかすの姫」。
高知県の仁淀川や鏡川と言った美しい川のある風景が、癒やしを与えてくれました。
「聖地」となった越知町の浅尾沈下橋は、ファンの巡礼地として活気づいています。
仁淀川は本当に透明度が高くて綺麗なので、多くの方が喜んでくださっているようで嬉しい限りです。これが続いていくと良いなぁ。

最後に。個人的には、3年間続けた高知新聞の新聞と読者委員を無事卒業できたことが感慨深かったです。毎回テーマ発表のたびに悩み、オーテピアに出かけ、試験勉強する高校生の気分を数十年ぶりに味わいました(笑)。

新聞のお仕事に携わらせて頂けたことで、報道機関の使命、役割や社会的視点について、深く気づきを頂けた貴重な機会でした。いくつになっても、学べることって素敵ですね。とても感謝しています。

さて、来年はどんな学びが待っているのでしょうか?(笑)
願わくば、たくさん笑える幸せが世の中にあふれますように。

来週はお正月ですので、コラムはお休みさせて頂きます。
では皆さま、どうぞ良いお年をお迎えくださいませ。

第985回「コロナ禍のつながり」

12月18日

よくzoomでセミナー仲間とオンライン飲み会をしていますが、情報交換や雑談、様々な学びなどで1年半以上続いています。昨年からお母様の介護などの体験をした人が複数いて、その体験談を聴くことでも多くの学びをさせてもらっています。
そして自分の番が、いきなりやって来ました。

私の姑は86歳で、高知市から2時間の山の一軒家で一人暮らしをしている、しっかりした自立心の高い人です。先週「お腹が痛いから、薬を届けて欲しい」と主人に電話がありました。状態を聞き「それはすぐに迎えに行った方がいい」ということで、主人と頼もしい看護師の義妹が迎えに行きました。寒い時期に過ごせるように姑用のアパートを借りているので、そこで少し養生すれば治るだろうと2日ほど様子を見ていました。

しかし嘔吐や脱水がなかなか改善されず、病院へ。血液検査の結果、そう悪くないけど入院して様子を見ましょうかとなり、入院ならCT等の検査をするため、血液検査でわからなかった腸の異常が見つかりました。急きょ転院して、緊急手術することに。

幸い手術は2時間ほどで無事すんだのですが、コロナ禍で
「面会は1人のみ、週に2回までで、1回10分以内」。
でも秋まで全面的に禁止だったことを考えると、短時間でも会えるのは大違いですよね。手術翌日は義妹が面会に行き、その2日後に私が面会に行きました。10分のタイマーをスマホでセットします。

姑は車いすで面会室に連れてきてもらったのですが、第一声は
「どうして昨日、面会に来てくれんかった!?」でした。
ああ、寂しかったんだなあ、不安だったんだなあと思い、
「ごめんね、寂しかったねえ。今面会が制限されてて…」と話したのですが、そういう事情が、本人はわからないようで。

そうだよなあ、今までだったら誰か手術したら、みんなでお見舞いに行ってたのに、なぜみんな来てくれないんだと思うよねぇ。ごめんね。
姑の感情に共感しつつ聞いていると「手を強く握って」と求めてきました。
ギュッと握って「痛くない?」と聞くと「大丈夫」と。

人が元気になるには、心の栄養である「ストローク」が必要。姑の今の寂しさを埋めるにはスキンシップ(身体的ストローク)が必須だと気づいて、
「お義母さん、よく頑張ったねえ」とハグしました。もちろんそんなこと姑にしたことはありませんでしたが、それで少し気持ちが落ち着いてくれたようでした。
交流分析で学んだことが腑に落ちた瞬間でした。

面会できるのが一人だけなので、見聞きしたことをみんなに伝えなければいけません。気づけばもう、残り時間は2分。「みんな来たくても来られないから、写真撮るね」と動画を撮ると「おばあさんも、これから頑張ります。ありがとうございました。」としっかり話してくれました。それを家族3人にLINEで拡散。会えなくてもマスク越しでも、顔を見られれば少しでも安心できますよね。離れていても、心をつなげられることに感謝です。

街に流れるクリスマスソングを聞きながら、これから色々な課題が出てくると思うけど zoomで「先輩」達にも聞いて切り抜けようと思った 師走の午後でした。

第984回 「プレゼント」

12月11日            中村 覚

クリスマスの時期がやってきました。ところが、今年はお店を彩るディスプレイや商品群の規模が例年に比べると縮小しているようです。雑貨の輸入が経費高騰で減少していることや、コロナ禍による消費の冷え込みなど色々あると思います。でも そもそも規模や華やかさをより盛大に?というのは本来のクリスマスとは方向性が違うわけで。(笑)人それぞれ その店々、その年々のクリスマスがありますよね。

ところで、何才ぐらいまで サンタクロースの存在を信じていましたか?この手の話になると、「ちゃんとフィンランドにサンタはいますよ。」と大人な返事をする人もいますが…。(笑)

いや いや、そうじゃなくて 人間離れした財力と行動力でプレゼントを届けてくれるおじいさんの話です。私の場合は小学低学年の頃には もうわかっていた気がします。なぜ あんなに早くに知ってしまったのか。ひとえに環境が良くなかったのかも。(笑)

いつの時代も信じている子供達は、まだか まだかと指折りその日を待っているはず。でも、仮に当日 プレゼントが届かなかったら、つまり なぜか サンタさんが来なかったら、一体どんな反応をするのかなとちょっと考えたりします。

A君 「僕が良い子にしていなかったから…。」
B君 「サンタさん、何かあったのかなぁ。ちょっと心配。」
C君 「大雪?ソリの故障? トナカイ 逃げたの? お金の問題?」
D君 「そっちがその気なら…、もぅ要らなぃ。」
E君 「まっ、来年があるさ!」(笑)

色々な反応があると思います。(笑)

ところで、ひとくちにプレゼントと言いますが、実は渡しても、頂いてもなかなか難しいのがプレゼント。

リクエストしてもらった物をプレゼントすれば喜んでもらえますが、それではサプライズ感がありません。日頃からの相手の言葉の端々に感じられる何気ない嗜好をキャッチして~。 でも、これは言うほど簡単ではありません。

頂く場合ですが、何もかにもが珍しく、新しい物ならなんでも良い。そんな頃はとっくに過ぎていて、嗜好の幅は鋭角になるばかり。例えば「こだわりの手帳が欲しかったのに、ボールペンを頂いた。」 「Aじゃなくて、Bが欲しかったのに。」 内心、そう思うことってありますよね。(笑)

でも これは、ピアノの才能が欲しかったのに。もっと運動神経があれば良かったのに。もっと記憶力があったら~ 等々。欲しいものに目がいって、授かっているもの(既にあるものを)忘れている、そんな状態に似ている気がします。

人から頂くプレゼントも授かっているものも、それをどう使うのか そこが大事な気もします。(笑)