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ウィークリーN

第150回●2005年9月25日(日)

  足跡32 「明日に向かって」


Birthday cake


 9月後半になったというのに、昼間の日差しはまだ夏のようです。でも朝晩は、いつのまにか秋を思わせる空になってきました。
 私の個人的な体験が少しでもどなたかの参考になることがあればと、障害児育児体験などをだらだらと続けてきましたこの「足跡」シリーズですが、涼歌の高校在学中以降に関しては、リアルタイムでこの「ウイークリーN」と「すずかの気ままにDO!」で記してきましたので、一応これでピリオドを打とうと思います。私自身まとめてみて、もうすでに忘れていたことが多々あり、当時の物を引っ張り出したり、振り返ることで懐かしい思いにもなりました。

 実は10年前、私が書いた文章が講談社の「心にしみるいい話・珠玉編」に載ったのですが、この夏、それを来年度の中学校の道徳の教科書に採用したいというお話を東京の出版社からいただき、大変驚きました。

 著作権に関して講談社とお話がつけばということで受諾させて頂いたのですが、文章を読み返してみると「36歳・主婦」とあり、ああ専業主婦をしていた最後の年だなと懐かしく感じました。まさかこの文章が再び日の目を見るなんて。書いておいて良かったなとつくづく思います。

 内容はウイークリーの100回目「生まれてきてくれて、ありがとう」で紹介させて頂いたものと重なりますが、ここに紹介しておきます。これを読んで、中学生はどうとらえるのでしょうか。たとえたった1人でも、その人の心に響くことがあればいいなぁと願っています。
 
  皆さま、「足跡」シリーズをずっとお読み下さいまして、本当にありがとうございました。 改めて私自身、明日に向かっていこうと思います。まだまだ人生、折り返し地点ですものね!

  
       「生まれてきて良かった」

 私の娘は現在、小学4年生です。冗談を言って笑わせてくれたり、怒られて泣いたりする彼女ですが、走り回ったりすることはできません。なぜなら彼女は、手足が普通の子のように動かせない―重度の障害児なのです。

 彼女がまだ保育園にいた頃のことです。クリスマス会で、生まれて初めての振り袖を着せてもらい、女の子3人で踊りを披露しました。といっても娘は車いすに座り、桜の枝を持った右腕をわずかに振るだけでしたが…。左右の友達が交互に曲に合わせて車いすを動かし、全体をうまくまとめてくれていたのが印象的でした。
 
 しばらくして、村のデイサービスで、保育園でやった演目を見て頂くことになりました。その日の夕方、娘を迎えに行くと先生が嬉しい話をして下さいました。
 娘の、不自由な体ながら一生懸命に踊る姿に感動なさったおばあさんが、帰り際に娘の手をとり、「がんばりよ、がんばりよ」と涙ぐまれたそうなのです。

 それを聞いた私の胸にも、熱いものがこみ上げてきました。そして自分自身、30何年生きてきて、他人にそれほどの感動を与えられたことが果たしてあっただろうかと 思いました。それなのに娘は、わずか6歳にしてそれを自然にやったのだと考えると、改めてすごいことだと感じられたのです。

 小学校に入る年齢になった頃には、彼女にどんな学校が向いているのか悩みました。 考えた末、ある養護学校の運動会に足を運んでみることにしました。

 初めて見る養護学校の運動会。そこでは小学部から高等部までの児童生徒が、それぞれの障害に応じて頑張る姿がありました。

 娘のように動けない子をボードに乗せて先生が引っ張り、顔を上げさせる。何分もかけて寝返りをうったり、あるいは這って懸命にゴールを目指す子供たち。車いすで風のように走り抜ける生徒と、デッドヒートを演じる松葉杖の高校生…。
 流れる汗。目標を達成した、輝く笑顔。そこには私の経験してきた1番、2番を競う運動会とは全く別の世界がありました。あまりにもひたむきな、ほとばしるような情熱を目の当たりにして、私は完全に圧倒されてしまったのでした。
(是非とも、この学校へ娘を入れたい!)

 やがて、娘は念願の小学校の1年生になりました。入学してみて驚いたのは、先生方の子供たちへの接し方です。子供たちの目線はもちろん、まばたき1つにまで「あ、いま、返事をしたよ」などと意志を読み取ろうとしてくださる細やかな愛情には、本当に頭が下がりました。 まさに、教育の原点を見た思いでした。こんなすてきな学校があるなんて、娘がいなければ決して知ることはなかったでしょう。

「人間にとって、何が一番大切なことか」ということを、娘が生まれてから何度となく考えるようになりました。しかし、それがあまりにも根源的な問題で、私はつい忙しい日常の中で、見失いがちになってもいます。

 長女が小学校3年生のある日、何気なくこう言いました。
「ママ」
「なに?」
「…生まれてきて、良かった」
 
  あまりに思いがけない言葉に、私は絶句してしまいました。
決して平坦ではなかったはずの彼女の人生を、そんな一言で言い切ってくれたこと。 そしてそれへの感謝で、胸がいっぱいになりました。

「ありがとう。 ママのところへ生まれてきてくれて、本当にありがとう。」
私は、そう返すのがやっとでした。
なんて素晴らしい宝物を、私は神様からゆだねられたのだろう。

そして同時に、こう願わずにはいられませんでした。
(どうかこの子が大人になってからも、「生まれてきて、良かった」と言えますように…)と。

 

 
 
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