第1075回 「ありがとう!『らんまん』」

9月30日

 

「朝ドラ屈指の傑作」の呼び声も高い「らんまん」がついに、大団円を迎えました。半年もの間 毎日万太郎と寿恵子と共に時間を過ごしてきたのが終わり、「淋しい」とネットでもロスが広がっています。特に高知県民にとっては、身近な牧野富太郎博士を取り上げたドラマとして応援してきたので、思い入れが深いことでしょう。もちろん、私もそうでした。

このドラマが素晴らしかった要因は色々とあります。キャストの神木隆之介さんと浜辺美波さんが「らんまん」の世界観を作り上げてくれたこと。神木さんは牧野博士の無垢な笑顔をそのままに表現できた希有な役者さんでしたし、浜辺さんは日本髪が可愛らしくて、お似合いの二人でした。寿恵子はヒロインと言うよりは自分の力で商売までして万太郎のために土地を買うなどヒーローの要素もあり、「夫婦二人が同格で夢に向かって進んでいく冒険物語」になっていたのが令和の時代を反映しているなあと思いました。

史実では牧野寿衛子さんは昭和3年に55歳で病気で亡くなり、その後牧野博士は奥さんを偲んで新種を「スエコザサ」と命名したのですが、ドラマでは最終回に愛情と感謝を込めて、図鑑の最後に載せた「スエコザサ」を二人で眺める…という史実を超えた名場面になっていました。

「万ちゃん。“らんまん”ですね」
「らんまんじゃ」…
「でも約束ね。私がいなくなったら、いつまでも泣いてちゃダメですからね。草花に、また会いに行ってね。そしたら、私もそこにいますから」

そりゃ、泣きますって!
史実よりも、「本当にこうだったら」というやさしい世界を脚本家の長田育恵さんが作ってくださったことに感銘を受けました。

史実と言えば牧野富太郎博士は、1862年(文久2年)生まれ。坂本龍馬が初めて脱藩した年なんです。ドラマでのディーンフジオカ演じる龍馬との出会いはファンタジーではありますが、実際そういうことがあったとしてもおかしくなかったかも。長田さんの脚本にはロマンを感じます。

そうして牧野博士は昭和32年(1957)に94歳で亡くなられましたが、江戸時代から昭和30年代までのご長寿であったとは、驚きませんか?奥様が亡くなってからも28年間ご存命だったわけですが、人生のどこを脚本にするのか。その切り取り方もまた、秀逸でした。

「らんまん」の成功は、なんと言っても長田育恵さんの脚本が盤石だったからだと、つくづく思います。朝ドラは毎日15分ずつの短い脚本を延々と(今作は130話)書き続けないといけない過酷さがあり、その長さゆえに中だるみや息切れも多くなるようです。加えて視聴者からの批判もSNSですぐに拡散される時代、実在の人物を描くゆえに史実をなぞる難しさもこなしつつ、万太郎の人物像、才能、人生と見事なストーリー展開を繰り広げてくださった長田育恵さん。すごい方です。

松坂慶子さんとお二人で高知での「らんまん」トーク会が開かれたのをテレビで拝見しましたが、長田さんの明るい笑顔は万太郎のようにキラキラなさっていて、とても惹きつけられました。そしてあの脚本には、長田さんの人生観・人間観が表れているように感じました。

姉夫婦の綾と竹雄、植物学教室の波多野と藤丸、十徳長屋の皆さんなど、万太郎の周りの人たちも、生き生きと描かれていましたよね。そして運命に翻弄されながらも前向きに人生を進んでいく姿は、一日の始まりの朝にふさわしい元気をもらえる物語でした。

ドラマに描かれている人々には、いわゆる「悪い人」がいません。分家三人衆の「分家ズ」や田邊教授など、敵役もその行動に納得がいく背景や事情があることをきちんと描いていました。ある記事で拝見したのですが、長田さんが特に考え抜いたのは登場人物の言葉だったそうです。「作家として書きたいだけなのか、本当にその人物に必要な言葉なのか」。

だからこそ、血の通った言葉になっていたのでしょう。「長田さんだから、出てくる多くの役柄の目線になって、丁寧に人間像を描けたのだな。自分を信じ、相手を信じる、そういった誠実な生き方をなさっているのだな」と感じられました。

長田育恵さん、神木隆之介さん、「らんまん」チームの皆さん、本当に素敵な人間ドラマをありがとうございました。