第921回 「せられん!」

9月19日

いや~、もう 朝から大笑いです。
今朝の高知新聞に載っていた、三山ひろしさんが昭和54年にヒットした土佐弁ロック「せられん」をオファーされ、YOU TUBE で公開したという記事。
早速見ました、聴きました、笑いました!なつかしい~!(笑)
クリックしてみて下さい♪

♪せられん せられん いうたろう~!

高知県民でないとわかりにくいかもしれませんが、「れん」は禁止の意味。「せられん」は「しちゃダメ」ということです。「いうたろう」は「言ったでしょ」という、少しとがめるニュアンス。しちゃダメって言ったでしょう、の意味です。

私たちが子供の頃は、大人から「せられん」のオンパレードでした。
「壁に落書き せられん!」「弟をいじめたり せられん!」
これが動詞とくっつくと、「~られん」となります。

この柵(さく) 入られん(この柵に入っちゃダメ)
枝は 折られん(枝は折っちゃダメ)・・・

せられんせられん 言うたろう! (やったらダメダメって言ったでしょ!)
せられんせられん 言うたろう! (やったらダメダメって言ったでしょ!)
おかあちゃんが 言うたろう! (おかあさんが言ったでしょ!)

そしてこの歌は、大人に対して言ってることが面白いんです。その後の歌詞、

たかでたまるか そればあ飛ばいて (なんてことするの そんなにスピード出して)
たかでたまるか それほど飲んで (なんてことするの そんなに飲んで)

おまんたいちゃあ 飛ばいちゅうけんど (おまえずいぶん 飛ばしてるけど)
アメリカへでも 行くがかよ? (アメリカにでも 行くのか?)
まあ人間死ぬときは死ぬけんど (まあ人間死ぬときは死ぬけど)
今日にゃあ ようばなのう 今日にゃあのう
(今日じゃなくても いいよなぁ 今日じゃなくても)

この絶妙の土佐弁感!そして、生きる本能を揺さぶる言葉。(笑)
まあ人間死ぬときは死ぬけど、今日じゃなくてもいいだろう、って。
他人をいさめるのに、この角を立てない言葉のセレクト!

いやそれ以前に「飲んだら乗られん」とか飲酒運転をいさめる歌詞に、交通ルールよりもお酒の優先順位が高い土佐人の破天荒さはどうなんだろうと。この辺は昭和54年、1979年という時代感が出ていますが、今じゃ考えられません。

今回の三山さんのカバーは、「新型コロナで【せられん】ことが増えた今、人々の心がささくれ立って、何かと息苦しい世の中だからこそ、明るく口ずさみたい曲」ということです。大いに賛成!さしずめ今なら、

「マスクはずされん」
「密になられん」

「返杯 せられん、いうたろう~!」
ということになるのでしょうかね。多分ね。(笑)

第796回 「Z音」

4月20日              中村 覚

スーパーの駐車場でのことです。自分の車より少し大きい車が前方から来ます。運転手が年配の男性というのもあり、先に道を譲りその後を追うように私も同じ方向へ曲がります。駐車して歩いていると「すみません、これ ヴィッツよねえ?」と声をかけられました。見ると、さっきの車のおじいさんです。けっこう背中も曲がり、年齢は80歳ぐらいでしょうか。

急に声を掛けられ「(あんたの車は)ヴィッツよねえ?」と言われると、一瞬 頭が「?」に・・・。 まぁ その通りなので、「あぁ そうですけど。」

「実は(自分が)次に買う車をヴィッツにしいや言うて、娘が勧めるがよ。小そうて良いき言うて。わしもヴィッツやったら、買いやすいき、えいがよ。」
「けんどね、息子はヴィッツなんか買うたら、自分が運転する時に窮屈やき、どうせなら大きな車を買いや、言うがよ。」
息子さんは身長が180cmぐらいあり体格が良いそうです。

話を聞いていると、おじいさんはもう免許を返すので その後は運転を娘さんや息子さんに頼むのだそうです。そして その頻度はどうも息子さんの方が高いようで、だからこそ 次 買う「車」がネックになっているみたいです。
おじいさんが今 乗っているカローラはもう寿命とのこと。

ちょっと顔をしかめながら「ヴィッツはどうやろうかね?」と運転席に腰をかけた際の座高などを気にしている様子。
「ちょっと乗ってみますか?」と聞くと、「わしが乗ってもしょうがない。 息子が乗って どうなのかが問題ながよ。」
確かにそれはおっしゃる通り。こうなると、何て言葉がけをしていいのか・・・。

心底 迷っている様子で「すまんねぇ、足止めたね。」「もう車の事を考えよったら、エズラシー。」

「いえいえ・・・どういたしまして。」と頭を下げ別れたものの、思いがけず、なつかしい気持ちになりました。「エズラシー」という言葉を久しぶりに聞けたからです。祖母が生きていた頃、たま~に言っていました。このおじいさん同様、ちょっと考え事などをして簡単に答えが出ない時などに、「エズラシー」とこぼしていました。

「えずらしい」は土佐弁です。困惑した状態で、つらい・せつない思いをして、そのためにわずらわしいという気持ちが加わっている時に使うようです。でも今は、めったに使われません。

似た言葉で「エズイ」というのもあります。冷酷な・むごいことをするのを「えずいことをする。」そんなことをする人を「えずい人」。

また「ズツナイ」というのもあります。苦しい、つらいの意味です。「おーの、ずつない」と言うと、体がつらい実感がこもっています。

どれもネガティブな言葉ではあるのですが、生活感がこもっているところが好きです。そしてezurasii、ezui、 zutunai 、3つともなぜか「Z」音が含まれていて、言葉の雰囲気を音でも表現しているようで、方言の奥深さが面白いなと思います。

 

第719回 「救いの手に感謝」

10月21日              (中村 覚)

「先生、わかりません!」「うん、これはね~」ある疑問を感じた時、自分で考えなくても聞けば 教えてもらえた、校舎での懐かしい日々。 大人になったら わからないことは自分で調べて、それでもわからなければ、もぅちょっと調べます。それでもわからない時には、どなたかの力をお借りするのも…。

716-1

実は 第716回、私はこの場をお借りして「言い間違い、聞き間違い」ということで、なぜ高知の郷土料理、皿鉢(さわち)のことを高知県方言辞典で「さーち」と長音で表記しているのか? もう皆目見当も付かなかったので、「どなたかご存知ないでしょうか?」と、ほとんど天にお任せするような形で文章を終えていました。

ところが本当に後日、ご連絡を頂けました。 weekly N をご覧下さっている松山にお住いの玉岡さんという方が「さーち」表記について、大変わかりやすくご説明して下さいました。今までコラムを書いていて、こんなに嬉しかったことはありません! お会いしたこともない方からメールを頂けるなんて、私の人生観の守備範囲を飛び越えています。

玉岡さんは言語学を学ばれたということで、頂いた文章をそのまま皆様にご紹介させてもらいます。

皿鉢ですが、表記から言っても、おそらく最初の発音は文字通り「さらはち」だったのだと思います。以下ローマ字で説明します。そのほうがわかりやすいので。  sarahachi   ところが、「ら」の音は発音しにくいので、saraの「r」音が欠落したのでしょう。この発音しにくい、しやすい、というのは、言葉の並びの前後関係によって変わってきます。要するに口の開け方が、スムーズにいくように、ということがその大きな理由です。 r音が欠落して、saawachiになって、前のa音が重なることで無くなります。これで、sawachi です。ところが「w」の音もやはり発音しにくいので、欠落します。そうなるとsaachiです。 そして「さーち」。言葉は言いやすいように変化をします。

私はこのローマ字表記によるご説明を拝見して、とても納得致しました。今後 誰かとこういった言葉について話すことがあれば、是非、真似をさせてもらいたいと思っています。

また、「さーち」以外のお話も伺えました。

例えば、「沢田さん」という時に、正しくは「さわださん」のはずですが、私たちは、「さーださん」と無意識に言っていたりします。「わ」は口を大きく開けないといけないのですが、それは発音しにくいので、「わ」の「w」を省略しようとします。「さーださん」と言ってそれで普通に意味が通っているではありませんか?

おっしゃる通りです。歌手の沢田研二さんを子供の頃から「さーだけんじ」と何度言ってきたことか。

それから。実は学術的には「土佐弁」という方言はないのです。どうしてかと言えば、ちょっと考えるとお分かりいただけると思うのですが、高知市の方言と、旧中村市の方言(幡多郡方言)は異なります。また室戸の方言と、須崎の方言は同じか、と言えばやはり異なると思うのです。方言はあくまで地域で話されていた言葉であって、土佐一国、というような大きなくくりでひとまとめにしてはいけない、という考え方なのです。 テレビを見ていると、芸人さんが、よく関西弁という言い方をしていますが、 関西弁というような方言も、実は存在しません。ちょっと考えるとわかるのですが、大阪の方言と神戸の方言と京都の方言でさえ全く違います。大阪と神戸なんて、わずか電車で20数分の距離ですが、それでも方言は変わります。

私は目から鱗でした。考えてみるとおっしゃる通りです。でも今まで考えたこともなかったのが実状です。もちろんこの先も便宜上、土佐弁や○○弁という言い方をすると思いますが、こういった事を知っているのと知らないのでは、会話の土台の厚みが違ってくるように思います。

玉岡さん、この度は大変勉強をさせて頂きました。この場をお借りしてお礼を申し上げます。ありがとうございました。