第1048回 「佐川町の白亜の近代建築」

3月25日

4月からNHKの朝ドラ「らんまん」が始まるということで、モデルとなった日本植物学の父と言われる牧野富太郎博士の出身地、高知県佐川町が脚光を浴びています。

観光博覧会「牧野博士の新休日〜らんまんの舞台・高知〜」も本日、開幕しました。県内全域を博覧会場に見立て、博士が愛した花や文化、グルメなどを楽しむ催しに合わせて、佐川町も準備を整えていました。

佐川町は「歴史と文教の町」と言われています。藩政時代は土佐・山内家の筆頭家老、深尾氏が城下町を築き上げ、町のあちこちに時代の息吹が感じられます。

その中で、近代建築好きの方に ぜひご覧頂きたいのがこちらです。

「佐川文庫庫舎(旧青山文庫)」です。鹿鳴館時代の面影を残した県下最古の木造洋館で、町指定文化財にもなっています。とても優美な印象の建築です。

明治19年(1886年)に建てられた擬洋風の公共建築で、意外にも元は須崎警察署佐川分署として使用されていました。昭和5年に現状のまま移設され、川田文庫・青山(せいざん)文庫として活用。その後も昭和53年に民具館として移築、平成21(2009)年に当初の場所に移築。歴史と共に、あちこち引っ越しているんですね。

現在は修復され、美しい白亜の建物に生まれ変わりました。

木造2階建ての屋根は寄せ棟造り和風の桟瓦葺き(さんかわらぶき)で、屋根中央から左側を右瓦で、右側を左瓦で葺くという、土佐の伝統的葺き分け技術が継承されているとか。

外壁はスギの厚板に白ペンキ塗りでドイツ下見板張りの洋風仕上げとなっています。
また正面玄関には、円柱のポーチがあります。

その内側。柱の上部がくるんと丸まっていて、ちょっと面白いデザインですね。

1階玄関は広い土間があり、奥は執務室だったようです。
この手すりも、優美なデザインですね。

元警察署だったということで、明治期の警察官の制服と紋章がありました。
後ろに見える急な階段の手すりの柱のデザインは、鹿鳴館の時代を彷彿とさせます。

2階に上がると、広いホールになっていました。

玄関の上にある、バルコニーが見えます。

天井の仕上げが独特ですね。シャンデリアをつるす円形のメダリオンもありますが、
豪華と言うよりは簡素な印象を受けます。

白いバルコニーの手すりは、これまた優美な曲線ですが、1階のデザインとは少し違うつぼ型のようにも見えます。

軒下の、「軒蛇腹(のきじゃばら)」っていうのでしょうか。細かな段がついているのですが、雨が多い地域では水切りの役割があるのでしょう。それがまたデザイン性を高めているように思います。

窓の内側はこうなっています。木製の上げ下げ窓がレトロでいい雰囲気ですね。
昔来たときには中に入れなかったので、今回は内部を堪能できて良かったです。

近代建築にご興味がある方は、ぜひ佐川町を訪れたついでにどうぞ♪

第961回 「安田町の名建築③~旧柏原邸・後編」

7月3日

知られざる安田町の名建築をご紹介してきたシリーズ、
最終回は旧柏原邸のメインの和室です。

見取り図の②,③,④,⑤あたりをご紹介していきましょう。

南の和室④から見た和室②③④⑤です。L字型になっています。

和室②には、南に上品な障子があります。
押し入れや物入れがあり、昭和22年頃には子ども部屋として使われていたそうです。

和室③は和室②と和室④の間の6畳間の居室です。
押し入れの上には、今ではめったに見かけなくなった神棚があります。

ガラス扉の向こうに七社(7枚扉の神棚)が並んでおり、中にたくさん
お札が納められています。最近では神棚を知らない人も増えているため、
「これは何ですか?」と聞かれることも多いそうです。

西の和室④との境の上部には、技巧を凝らしたケヤキの欄間が見事です。
和室④と共に、内縁と濡れ縁が設けられています。

そして一番格式が高い、和室④。北側の和室⑤と続き間座敷になっています。
客間として作られた、格調高い書院造りです。
(書院とは書斎で、書院を建物の中心にした武家住宅の形式が書院造りです。)

左端の書院、床の間、床脇(床の間の隣の部分)に違い棚、
天袋(違い棚の上の戸棚)のある座敷飾り。
なんだか社会の教科書に出てきそうな造りですね。

しかもご覧のように、床板と床の間の垂れ壁が二段構えとなっています。
また床の間と床脇の間や書院の上にも、欄間がはめ込まれています。

松竹梅、鳳凰、水鳥や鯉など,欄間だけでも数多く、見応えがありますよ。

和室⑤の床脇の天袋には、絵師の落款(らっかん)と「昭和」
「癸酉(みずのととり)」「壱月(いちがつ)」の墨書きがあります。
干支を調べると昭和8年が「癸酉」だったため、絵は昭和8年1月に完成したものとわかり、そこから柏原邸が建てられたのが昭和7年とわかったようです。

内縁と濡れ縁は、広いガラス戸で仕切られています。
大正ガラス越しに眺める庭の景色も味わい深いものです。

高知の強い日差しや雨風から、深い軒先が家を守っています。

おまけです。中央から上に伸びる柱の根本から出ている釘(クギ)、
何だかわかりますか?

実は昔、これに蚊帳(かや)をつっていたんですね。
蚊帳とは、夏場 蚊や小さい虫が入ってこれないように張る網のような布のことです。
修復の時に何かわからず、ほとんど抜かれてしまったとかで、ご案内くださった女性が残念がっていらっしゃいました。時代が変わるとはそういうことなのだなと感じました。

私は和風建築はわからないのですが、見るだけで良い勉強になりました。
1時間以上も丁寧にご案内下さった優しい職員さんには、ただ感謝です。
コロナ禍の今、ゆったりと名建築を味わえたぜいたくな時間でした。

第960回 「安田町の名建築②~旧柏原邸・前編」

6月26日

前回に引き続き、「安田町まちなみ交流館 和(なごみ)」、見事な日本建築の旧柏原邸をご紹介しましょう。こちらの女性職員さんが質問にも時間をかけて丁寧にご説明下さり、そのおもてなしの心にも打たれました。

旧市川医院の初代の市川先生が 当時の柏原少年を見込んで岡山の医大進学を援助し、医師になった柏原氏を娘婿としてお迎えになったとの経緯を伺い、見も知らぬ市川先生に親近感を覚えました。道理で旧市川医院と旧柏原邸がつながっているわけです。

旧柏原邸は平屋造りで、8室あります。壁は石組みの上に土佐漆喰の土塀が17mにわたって伸び、建物は水切り瓦も使われている立派なものです。

表門にはケヤキの1枚板を使い、昭和7年の建築当時には「表門だけで家1軒が建つ」と言われたとか。(写真をクリックしてご覧下さい)

棟飾りの鶴。安田町には土佐鶴の酒蔵があり、同じような鶴の飾りがあるようです。

土塀の上の瓦。土佐湾の波か、安田川の水の意匠でしょうか。

表門をくぐると、庭から和室が見えます。

北側の庭から、開け放った和室越しに南の庭が望めます。
こうした光景を見ると 日本家屋の開放性が、夏の心象風景に思えます。

市川医院と柏原邸の間は、こんな風に土間になっています。
この通路の向こうは、市川家の本宅に続いているそうです。

さて、柏原邸の玄関をくぐりましょう。

天井は、最も格式の高い様式の格(ごう)天井で、高知城にも使われています。ケヤキの角材の木目を、タテヨコに使っているのがわかります。

玄関障子の向こうには、小さな和室と床の間があります。
釣り床という形式だそうで、床柱が切断されているのが珍しいですね。
「奥の庭がよく見えるように切られたのでは」ということでしたが、今はお客さまが頭をぶつけると危ないので「頭上注意」の紙が貼ってあります。

さて、玄関横の和室①は、住み込みの看護婦さん用に作られました。

天井が低いのは押し入れに階段があり、2階の屋根裏部屋に続いているからで、ここだけが2階がある造りです。

看護婦は中廊下から市川医院にそのまま行けるような構造で、柏原家の家族と分離されています。このように中廊下を挟んで南北に居室を分ける形式は、明治末期から大正にかけてあった建築様式だそうです。

和室②③④⑤は長くなりますので、次回にご紹介します。

和室⑥と⑦は建築当初から隠居部屋として続き間で作られました。
和室⑥は床の間や床脇、神棚、濡れ縁などがあります。落とし掛け(床の間の上にかけ渡した横木)は細身の丸太で、銘木が使われています。

和室⑦は押し入れと内縁のみとシンプルです。
⑥と⑦の間には鯉の欄間がありました。柏原邸の欄間は数多くあり見事ですので、それも次回にご紹介しましょう。

最初は2回くらいでコラムにできればと思ったのですが、
あまりに見所が多すぎてご紹介しきれず、どこを削るか四苦八苦で3回になりました。(笑)
この建物は、安田町の宝だなとつくづく感じています。