第759回 「しまんと市民祭、迫力の提灯台!」

8月4日

先日、毎年恒例の四万十市での研修がありました。

見慣れた赤鉄橋が鮮やかにお色直しされ、夏の陽ざしに映えていました。20数年前にはこの橋のたもとに住んでいたこともあり、懐かしい景色です。

研修が終わると、「今夜はお祭りがありますよ」と教えて頂きました。四万十市と言えば「土佐一條公家行列 藤祭り」が有名ですが、あれは5月だったような?…
夕食後に商店街に立ち寄ってみると、いつになくすごい人ごみです。

夜店も出て、とってもにぎやか。「しまんと市民祭」と言うそうです。
後で市役所に伺うと、例年通り1万6千人ほどの人出だったそうです。

商店街を通ると、ちょうどよさこい祭りの地方車のようなトラックが通り「具同提灯台(ぐどうちょうちんだい)」とありました。見ていると…

何これ!?灯りをともした提灯台を担いで、男性陣が勇壮に練り歩いています。
そして辻に来ると、ぐるぐる提灯台を回すパフォーマンス。その迫力にビックリ!

「提灯台パレード」と言うそうです。今までまったく知りませんでしたが、見ていると次々に違う提灯台が通りかかります。
こちらは「大橋通提灯台」チーム。法被と提灯の赤が鮮やかです。

四国電力グループ。それぞれ、提灯台の色やデザインが違うんですね。
皆が口ずさむ唄が耳に残ります。でも言葉はよく聞き取れません。

「姉モセー 妹モセー ササーナンデモセー」

このサビの部分は耳に残るんですが、意味がわかりません。
残念ながら、市役所の職員さんもわからないとのことでした。

フジグラン四万十チーム。法被が紺で、粋でした。だいぶ見慣れてきました。

と、明らかに今までとはまったく違う、提灯台ではないチームが登場!
「太鼓台」と書かれた法被のチームです。

その名も「太鼓台保存会」。10台出る提灯台に対し、太鼓台はこの1台だけです。
色とりどりの紐結びが、幻想的に浮かび上がります。通りすがりのおじさんが「これは値打ちがあるけん」と教えて下さいました。

興味を持って、高知に帰ってから調べてみました。

そもそも提灯台は、一説には1467年(550年前)、前関白の一條教房公が中村に下向し、京都の祇園祭を模して始めたとも言われているそうです。す、すごい歴史があったんですね!昔は地区ごとに提灯台を構え 練って歩いたそうですが、今はそれが企業に代わっているというわけです。

子ども太鼓台も後をついて行きます。残念ながら人混みでほとんど見えませんけど、こういう体験が後進を育てるんですね。

太鼓台のチームのある下田は、四万十川の河口の町です。市役所の職員さんによると夏祭りの太鼓台の巡行は、160年前の江戸時代から伝わっているのだとか。

布に籾殻を詰めた飾りの太鼓台は 提灯台よりも数倍重く1トン近いそうです。下田の太鼓台は江戸時代に大阪の堺から購入してきたものと伝えられているそう。一説には、港町として栄えた下田の気の荒い男達の間で喧嘩が絶えないので、新しい祭事を始めて収めようとしたとか。

川村慎也さんという方の「はたのみち草 第8回 下田の 太鼓台」という記事に詳しく書いてあります。下田の町を太鼓台が練って行く様をぜひ見てみたい!という思いが湧くほど、素敵な記事でした。

このお祭りが終われば、四万十市にも夏がやって来ます。