第942回 「クラウドファンディングのリターン商品」

2月20日

先月、クラウドファンディングで支援した商品が届きました。クラウドファンディングとは、「群衆(クラウド)」と「資金調達(ファンディング)」を組み合わせた造語です。自分の活動ややりたいことをインターネットのサイトで発信し、それに賛同してくれた人達から広く資金を集める仕組みです。

たとえば新しいテクノロジーを使った商品開発・映画制作や出版・途上国や様々な団体への支援…想いに共感した人や活動を応援したいと思った人が資金を出します。寄付型・投資型・購入型などの種類があり、私は購入型。支援者はお返しとしてモノやサービスでの特典(リターン)を受け取ります。

私が支援したのは、センサー式で自動開閉するゴミ箱です。たまたま見かけて「これ、いいな」と思い、購入したものです。

ジータという名称で大ヒットしているようで、活動の支援金額600万円・支援人数500人、実に目標の6倍も集まったそうです。今ではアマゾンでも1万5千円くらいで売られていますけど。

こんな風に開きます。うちのは大きい45Lのゴミ袋を入れてたっぷり使えます。
台所で使うのに、非接触で衛生的なのがいいなと思いました。

この「購入型」のクラウドファンディングは急成長しているようで、参加型で仲間意識を育み、魅力的なリターン(特典)でファンを獲得できる。よくできているビジネスモデルだと思います。

もう一点、こちらは本当にニッチなものです。

もう、名称すら忘れましたが…(笑)
「こんなモノがあったらいいなあ」と感じた、机の横に取り付ける収納グッズです。

私は腰痛防止で昇降デスクを使っているのですが、動かしたときに机の上の書類などが落ちることがあります。その防止に買ったのですが、案外重宝しています。

まだ商品として一般化されていないものって好奇心が刺激されて、魅力的ですよね。(笑)

ただ、クラウドファンディングのリスクとしては、目標額に達しても資金面や技術面で起案者の当初の見通しが甘かったなどの理由でプロジェクトが完遂されず、支援者にリターンが用意できなかったケースが世界ではあるようです。私もリターンが届くまでの数ヶ月、「本当に大丈夫かなあ」とちょっと心配でした。だからこそ、「来たぁ!」と嬉しかったんですけどね。(笑)

今後は、こういったリスクから支援者を守る制度の整備もされるようになることでしょう。そして多様な購入型がもっと増えていくのではないでしょうか。

第938回 「高知新聞リニューアルに思う」

1月23日

私の生活に、新聞は長年寄り添ってくれています。以前は全国紙、日経新聞、高知新聞の3紙を取っていましたが、数年前から全国紙と高知新聞の2紙に絞って購読しています。

購読なさっている方々はご存じの通り、2021年の今年から高知新聞が大きく変わりました。まず、長年高知市近辺で配達されていた夕刊が、廃止になりました。
新聞を読み始めた小学生の頃は 薄くて親しみやすい夕刊に、より親近感を持っていたものです。残念ですが新聞の購読者数が大きく減少した現在、止めようのない流れなのでしょう。

なじみの夕方の新聞配達の光景はもう二度と見られないし、夕方にポストに行く習慣も、空の郵便箱に「そうか、もう夕刊はないのか」と寂しさを感じてしまう。投稿欄からもそういった文章を見かけ、夕刊ロスを感じた方々は少なくないと思います。

さて、紙面刷新された高知新聞の朝刊。大きな特徴は、これまで社会面が載っていた最後のテレビ欄の裏から4面で、県内のニュースだけをカラー掲載していることでしょう。一方で全国ニュースは2面から、とニュースを二分しました。どうやら高知新聞は「超地元密着型ニュースペーパー」を目指すようです。

実際1月に入り、地元情報は「こうちワイド」という赤い帯のついた4面にまとめられ、これまでよりも地域での話題が多くなったように思います。あとは新聞ならではの、地域面での読み応えのある連載記事も欲しいなあ。
ちなみに、朝刊には文庫本1冊分の情報が入っているんですって!

いくらネット情報が全盛の時代になっても、災害や感染症など地元生活密着情報で信頼度の高いものを継続的に、というと難しい。特に昨年コロナ禍で痛切に感じたことは「ネットには 東京などの首都圏情報はあふれているけれど、そうではなく地元の詳しく正確な情報や状況報道が欲しい!見出し程度の浅い情報ではなく、背景なども掘り下げた深い情報も欲しい」ということでした。

1月23日現在も 11都府県に緊急事態宣言が出され、全国ネットのテレビではコロナのニュースが圧倒的に多い現状です。しかし高知県では22日、コロナの感染症対応の目安を「特別警戒」から「警戒」に引き下げました。会食を「4人以下で2時間以内」とする要請などは2月7日まで維持するようですが、12月に全国に先駆けて来た第三波をなんとか乗り切れたのではないか?とやっと希望が見えたところです。当然、現在での課題は全国と比べると大きく違うわけで、その情報発信も高知新聞に踏ん張って欲しいところです。

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ちなみに、私が50年ほど高知新聞を読んできた中で一番衝撃を受けた連載記事は1990年代?の「流転 その罪誰が償うか」でした。
精神的外傷を負った元七三一部隊員の戦中・息を潜めて生きざるを得なかった戦後を克明に描き話題となり、日本ジャーナリスト会議賞を受賞した連載です。旧満州でペストや赤痢菌などを使いマルタ(外国人捕虜)に人体実験をした経緯を克明に綴った回はあまりにショッキングで、しばらく頭にこびりついて離れなかったほどでした。今なら表現の規制で、とても書けない記事です。しかしそれこそが戦争の 心をえぐる重い重い現実なのだと、戦後世代の私も痛感したものです。

実は今月初めから高知新聞の全国ニュース社会面で、【「悪魔の飽食」の記録】という連載が12回掲載されました。「悪魔の飽食」は1981年に発刊されたベストセラーで、作家の森村誠一さんのノンフィクション作品です。当時知られていなかった旧七三一部隊のことを、100人以上の当事者からの徹底的な聞き取りと覚悟を決めた元隊員たちによる告白で 世に知らしめた、重い一冊です。その時、森村さんと一緒に取材した下里さんという記者さんが84歳になった今「日本がした戦争の正体を知ってほしい」「悪魔をよみがえられせてはいけない」と高知新聞の取材に応じたのでした。

こういった記事は今のご時世、大変難しいことと拝察します。それだけに、高知新聞の記者さん、下里さんの気骨と、重すぎる事実とも向き合うジャーナリズムのあるべき姿を考えずにはいられない、貴重な連載でした。

第914回 「料理の最後の味付け」

8月1日

先日、ランチに初めてのステーキハウスを予約して次女と訪れました。店に入り「予約していた○○ですが」と言うと、ウエイターはチラッと見て「お好きなところへどうぞ」。

メニューにあった「期間限定 土佐あかうしのステーキ」を頼むと、「それ、売り切れです。期間限定なんで。」ん?それならそう書いてくれればいいのにな。
お祝いなのでちょっと奮発して、フィレステーキのコースを頼みました。

ごく一般的なレタスサラダが来て、その後味噌汁、ごはん、メインのステーキが並びました。期待して一口頂くと、フィレなのに脂が多い?そして、味がほとんどない。付け合わせのもやしとニラも同じです。「おかしいなあ」と思いつつ半分ほど食べたところで隣の席を見ると、ソース皿が来ていないことに気づきました。

「すみません、ソースがないんですが」と言うとウエイターが持ってきたのですが、お詫びの言葉もなく黙ってお皿を置くだけ。さすがに、カチンと来ました。

食べ終わると目の前でお皿の上に、お椀やソース皿をカチャカチャ全部重ねるウエイター。とても4千円のコースの接客ではありません。たまりかねて
「客の目の前でお皿を重ねますか?」
と注意をしたら、憮然として「すみません」と投げやりに言って、やっぱり次女のお皿も同じように目の前で重ねて、下げていきました。

サービス業の研修で、よく顧客の心理グラフを解説します。最初に店に入る時のお客さまの心理状態は、医療などではマイナスから始まり、レストランなどではプラスから始まるのが一般的です。これは、期待値の高低によるものです。
その後サービスの内容によって心理は上下するわけですが、最初にプラスだったとしてもその後のサービスが悪ければ、プラスはゼロに、そしてマイナスにとどんどん下がっていきます。そしてある一線で、クレームに達してしまうのですが、まさに、そういう心境でした。

私たちは最後のコーヒーが来る前に、飲む気をなくして席を立ちました。相変わらず強気のウエイターは、お勘定でも「2千円です」とおつりを渡すだけ。その上私たちが店を出る時、大きなため息をついていました。他にもお客さまはいらっしゃるのに。そのプロ意識のなさには、あきれるばかりでした。

そして先日、また次女と あるカフェに行きました。ネットで見て初めてのお店でしたが、お料理が美味しくて満たされた気持ちになりました。

店主さんもとても感じが良く、お腹の大きな次女に「もうすぐですね」と笑顔で話しかけてくれたのです。その一言で、こちらもとても嬉しい気持ちになりました。
店主さんと話す内に、思いがけない共通点が見つかり話も盛り上がり、店を出る時、次女と「今日はここに来て良かった。美味しかったね」と言い合ったことでした。

コロナ禍も第2波が騒がれる今、誰かと会食できるだけで 有り難いことですね。
また店舗としても一期一会のお客さまとのご縁は大切かとと思いますが、接遇が良ければより美味しく感じるし、悪ければせっかくの料理も美味しくなくなってしまうものです。料理の最後の味付けは、お店の方の接遇だなあとつくづく感じたことでした。