第1053回 「対面コミュニケーションのエネルギー」

4月29日

今春は「コロナ明け」と言われ、企業の新人研修をはじめ 対面研修がかなり復活してきました。パーティションを使えばマスクがいらないので、自然な呼吸で一日研修でも話し続けることができます。マスクのあるなしは、天地ほどの差を感じます。

そして大学でも、やっと対面講義が復活しました!
なにせ3年ぶりなので、コミュニケーション力が相当下がっているのではないかと不安に思っていたのは私だけでなく、学生の皆さんもそうだったようです。

教員免許資格を取るための介護等体験の事前指導。高知工科大では履修者が1クラス2~30人の2クラスなので進行しやすいですが、高知大の場合は1クラス7~80人で3クラス。人数が多いためペアワークを多用する実践的講義では何かと大変です。

まず最初はタイム・マネジメントから。遅刻者(欠席者)チェックで、少しでも遅刻すると受講資格を失うため、実際に欠席者が出ると緊張感がみなぎります。その後、実習へ行くためのマナーと、どのように実習でコミュニケーションを取ればいいかを、場面ごとに学んでいきます。

自己紹介、話の聞き方、表現の重要性、相手を喜ばせること…。そしてすぐにそれらを実践して、学びを自分のものにしていきます。「何をやらされるんだろう…」と戸惑っていた学生さんたちも、聴く・話す・書く・関わることで、次第に目の前の相手とのコミュニケーションに集中し、段々とノってきて、ワイワイと盛り上がりました!

まさに対面コミュニケーションならではの場のエネルギーです。素直なエネルギーは、伸び盛りだからこそのものかもしれません。相手を体一杯で感じることはオンラインでは体験できませんが、対人の場面では教員に限らず、皆さんに身につけてほしい力です。

・ コミュニケーションと聞くと、なんだか難しいことのように感じていましたが、今回の講座で「相手を知ろう、理解しよう、関わろう」 とするための行動であることが分かり、そんなに難しいことではないと思うことができました。知ろうとする心持ちが一番大切であると思います。

・ この授業を通して、人にはそれぞれの特性があり、それぞれの立場に立って考えてみることが一番、相手の心を開くための近道になると気づきました。

・初対面の人と話すことがあまり得意ではなく、このコロナの3年間で人と話す機会も減り、人とコミュニケーションをとることを避けてきた。しかし、今日の講座で人とのコミュニケーションの取り方、相手の話の聞き方、心の開き方などを習うことができたので、とてもありがたかった。

・会話した際に伝わらないという言語障害を持つ方の気持ちを疑似体験でき、この体験ができたからこそ、より相手が伝えたいことを汲み取る努力をするようになったし、伝わった時の嬉しさを感じ取ることができた。少し意識するだけで、こんなにも会話の雰囲気が変わるのかと体感することができました。

などの嬉しい感想が沢山ありました。

最初は表情が硬くこわばっていた学生の皆さんが、最後に笑顔で「楽しかったです」と言ってレポートを渡してくれます。自分の年を忘れ、テンション上げて3時間突き進むので疲れるんですが、皆さんの反応があまりにも良くて、私自身もパワーをもらえます。やっぱり対面コミュニケーションは、社会的動物といわれる人間にとってエネルギーをもらえる大切なものですね。

 

第1044回 「沈黙の役割」

2月18日

もう20年以上、香川県善通寺市にある看護学校で看護学生の皆さんとのご縁を頂いています。今年度は新設された1年生の教科「人間とコミュニケーション」で、学生の皆さんと一緒に、医療現場のコミュニケーション課題について考えてきました。

患者さんとのコミュニケーションにおいて重要なマナー、話し方、傾聴などを一通り学び、その後初めての現場実習を経て、ふり返りをしてまとめました。

初めての病院実習後に、患者さんとのコミュニケーションでうまくいったことと課題と感じたことについて、レポートを出してもらいました。私も看護の実習について具体的なことを聞けて、勉強になりました。レポートの中に

・「私は患者さんのことを知りたいので、お話しさせてください」と伝えると、うなずきで答えてくださる回数も増え、言葉でお話をしてくださるようになった。

というものがありました。気持ちを伝えることが大切な好事例ですよね。言われてみたらそうなんですが、なかなかそこに気づくのは難しいと思います。

続いて、課題を感じたコミュニケーション。やはり、マスクやフェイスシールドがあって、伝えにくいことには苦労したようです。

また、多くの学生さんが「沈黙」についての課題を書いていました。

・患者さんとの会話がうまく続かない
・沈黙が続いてしまう

といったものです。「質問が浮かばずに、沈黙してしまった」と、沈黙してはいけないように捉えている人が多いように感じました。医療職として、主体的にコミュニケーションを取らねばと強く感じているのかもしれません。

でも、沈黙は 恐れなくても構いません。
実は沈黙には、多様な意味があり、主な役割としては

①言語活動の手段
②相手に話をさせる目的(傾聴)
③相手の発言を止める目的
④発言内容を整理する
⑤拒否・拒絶

などがあります。傾聴や内容整理など、沈黙をポジティブに活用すれば 患者さんとの結びつきを強め、関係性を築ける 重要なコミュニケーション手段となります。だから沈黙は、必要なことであり、大切なことでもあるんですね。

こう話すとみんな一様にホッとするようで、表情が明るくなります。
「沈黙の時の皆さんの表情が大事です。ゆったりとした笑顔で、相手を見つめて下さい。言葉はなくても【受容されている】と、患者さんが感じられることが大切です。」

最後の授業でこう話した後、ある学生さんが書いてくれました。

・実習に行き、実践の場でこれほど実用的な授業は他にないと思った。

嬉しい一言が、心にぽっと灯りをともしてくれました。
コロナ禍でも、心の結びつきは失いたくないものですね。

第1036回 「担任の先生の思い出」

12月17日            中村 覚

ちょっと関西弁が入った口調で、上から見下ろしながら、怒るでもなく半ば
呆れた様子で「だから、今日は真っ直ぐ帰れ、言うたやないかぁ。」

高校1年の時に担任の先生から言われた言葉ですが、もう29年も前のことなのに、今も覚えています。担任の武田先生は、上にも横にもどっしりとした体格だったので、私が話をする時はいつも見上げる感じでした。またコワさもあり、体力にあふれた男子生徒を、雰囲気で押さえ込める存在感もありました。年齢は、今、思えば30代から40代だったと思います。

とにかく いつもニコニコで雰囲気の良い先生には見えなかったこともあり(笑)、あんまり関りはありませんでした。

文化祭の日の、帰りのホームルームでのこと。楽しい気分が冷めやらぬ生徒たちを前に、先生はいつものようにちょっと低いトーンで「はぃ、みんな お疲れさん。今日は補導員がいつもよりたくさん出てるから、この後、ちゃんと真っ直ぐ帰るように。」と。 つまり校則で禁止されているような街中にある店に寄ったりせずに、今日はこのまま家に帰っとけよと。

ところが、こうやってあらかじめ注意されていたにも関わらず、たま~に行っていた街中のゲームセンターに、この日つい寄ってしまったのです。ゲームセンターは校則でアウトな場所です。

夢中でゲームをしていると、肩をポンッポンッと叩かれ振り向くと「補導員」の腕章を付けた男性教員が「外に出なさい」と。すぐに外に出ると、先ほどの教員の後ろには、同じく腕章を付けた保護者達もいました。そのまま学校へ逆戻り。

「何年の何組か?」と聞かれていたので、しばらくすると廊下の向こうから担任の武田先生が、のっしのっしとこちらに歩いてきます。これは怒られるだろうなぁ。違反をしているのはわかっていたのですが…。

学校側からすると、良からぬ場所にゲームセンターを指定しているのもわかります。やっぱりこういった所に行くとお金の浪費にもつながります。
でも、私の場合はいつも同じゲームしかしなかったので、1プレイ100円でだいたい30分は遊べていました。1時間遊んでも200円です。しかも1時間ぐらい遊ぶと集中力も切れるので、後はさっさと帰るだけでした。~かと言って、先生にこの事情はわかってもらえないだろうなぁ。

私の前に立った先生は、怒るでもなく半ば呆れた様子で~
「だから、今日は真っ直ぐ帰れ、言うたやないかぁ…」
意外なことに、それだけでした。それが返って、胸を打たれました。
その後も、武田先生からは何も言われませんでした。今思えば、大人な対応をしてくださったと思います。

そんな先生が1年生の終業式の日、みんなへのはなむけとばかりに、黒板に踊るように「努力、努力、努力のみ」と大きく書きました。

この時、先生は多少なり話をして、この言葉に対する想いを語ってくれたとは思いますが、もう今となってははっきり思い出せません。
当時はこの言葉を見て「多分、勉強のことだろうなあ」としか思っていませんでした。でも、今考えると年頃の多感な生徒に多くを語るよりも、言葉少なに「俺の人生観はこうだ!」と向き合ってくれたのではないかと思います。

先月、代表の筒井が出版した「追手前伝説」を読み、自分の高校時代がよぎったのでした。