第1184回「質問への対応」

11月8日

今年度の大学など教育現場でのお仕事は、ほぼ一段落しました。

今年は真面目な学生さんが多かったのでしょう、質問がとても多かったのが印象に残っています。「知りたい」という欲求が出てくるのは嬉しいことですし、「皆さんには、わからないことを質問する権利があります」とお話しします。

一番多かった回は15分と決めている時間枠内で15個の質問が出て、進行が押さないか心配だったほどでした。「敬語をうまく使い分ける方法は?」「自分の意見が言えないです」「患者さんの年代に合わせたコミュニケーションを取るには?」などなど、皆さんに聞いてもらいたい良い質問が多かったのですが、質問を読む時間も入れての15分。パワーポイント画面もパッパッと次に写らないといけないので、メモが追いつかないのではと危惧されました。

そこで初めて、「質問のメモは時間が足りないので、写真を撮っても構いませんよ」と許可しました。みんなタブレットを持っているので、画面が変わると一斉にカシャカシャ写真を撮っていました。その日のレポートには「私の質問に答えてくれて、ありがとうございました」とか「他の人のこの質問へのお答えが、とても参考になりました」など、ほっこりするような言葉がたくさんあり、授業後も和んだことでした。

私は先生の質問への対応で、忘れられない体験があります。

私が中学3年の時、「公民」の教科は 植松先生という男性のベテラン先生がご担当でした。
一番最初の授業の冒頭、植松先生は私達に聞きました。「社会科の授業が好きな人は?」誰も手を上げません。「では、嫌いな人は?」クラスの全員が手を上げました。「なぜ、嫌いですか?」先生は問いかけます。ある生徒が「暗記しなければいけないことが多いから」と答えました。先生は「なるほど。そう思う人は手を下ろして」と言い、ほとんどの生徒が手を下ろしました。

私はなんとなく手を下ろしそびれていました。先生が私に聞きます。「あなたはなんで、社会科の授業が嫌いですか?」
その時の私は(今思うと恥ずかしい限りですが)「社会というのは教科書で学ぶものではなく、実社会で学ぶものだから」と答えたのです。なんて生意気なんでしょうか!

ところが、植松先生は私の答えに対して「その通り!」と肯定してくださったのです。我ながら、ビックリしました。真正面から大人に肯定されたのは、初めてだったかもしれません。今思えば公民は現代社会の仕組みや、それを構成する人間性や生き方について学習する教科だったので、とても考えられた導入だったと思います。私はそれで、一気に「公民」という教科に意欲が湧きました。

植松先生は、公民でのノートの記述方法を細かに決められました。予習枠、質問枠、その日の学び、まとめなど。以来私は毎回必ず質問をノートに書き、ノートを提出すると先生が答えを書いて下さいました。そんなことは初めてだったので、先生が質問1つ1つに答えてくれるのがとても嬉しかったことを覚えています。お陰で、一学期は好きでもなかった公民の成績だけはクラスで2番でした(笑)

今考えてみると、先生は上から目線の対応ではなく、生徒に対して真摯に向き合ってくださったのです。昭和の時代に、生徒の自分を尊重してくれたことがとても嬉しかったことを、50年たっても覚えているのです。それは「先生と生徒は、人として対等」という教えだったようにも思います。

だから、どんな質問にも全部向き合って答えることを、私は今も大切にしているのです。

生活

次の記事

第1185回「七五三参り」