第852回 「サイの角のようにただ独り歩め」

5月24日              中村 覚

先日、「犀(サイ)の角のようにただ独り歩め」というお釈迦様の言葉があるらしいと兄から聞きました。世にたくさんある こういった格言、私はそれほど知っているわけではなく いや ほとんど知りませんので、この話も有名だとのことでしたが、やっぱり知りませんでした。

けど、お釈迦様なら まぁ言いそうかなぁ。ホントのことなんだろうなあ。(笑)

一般的にこういった話を年長者から聞けば、うやうやしくありがとうございます、なのですが、相手が兄なものですから、ちょっとした疑問をぶつけてみました。

「『サイの角のようにただ独り歩め』から連想するサイの角って、1本な気がする。立派な体躯で歩むサイの先端にあるのは誇らしく突き出た1本の角!でも、お兄ちゃん、サイの角は2本で。」

たまたま ちょっと前に買ったサイの置物が部屋にあるのですが、 ほら この通り。(別にお釈迦様の言葉にケチをつけるつもりはないですが。)

兄は特に何も言いませんでしたけど、
内心「 そもそも 釈迦は角の本数には触れていないのだから、角が1本でも2本でも、だいたい言わんとするところはわかるだろ? ゴネるな。」と。

もちろん だいたいは わかります。(笑)相手が兄だから聞いてみただけで…。でも ちょっとやっぱり気になったのでした。

それから数日が経った頃、部屋で手にしたのが、このミニガイドブックみたいな小さな動物図鑑です。

たまぁ~に 自分の知らない面白そうな動物はいないかと無造作にページをめくるのですが、今回に限っては「そうだっ!」とサイの載っているページを探しました。

そこで判明しました。私の部屋にある置き物のサイは「シロサイ」で、このシロサイには角が2本あるのです。 多分、皆さんもサイと聞いてイメージするのは このシロサイではないでしょうか。 生息地はアフリカです。

それから(これは 他の動物にも言えることですが)基本形から派生したように○○サイというのが何種類かいて、その中に「インドサイ」というのがいました。これには角が1本です。 生息地がインドですから、どうもお釈迦様が見たのはこのインドサイのようです。

「犀(サイ)の角のようにただ独り歩め。」
これならイメージとピッタリ!(笑)

気持ちもすっきりしたところで、この言葉の意味を念のためネットで探してみました。
人の悩みの原因というのは、人とのつながり 人間関係からくるものが少なからずあるので、仏教では「孤独」を勧めるようです。一時的に他者から距離を置いてみることで、気持ちも癒され それは心の成長にもつながる、といったようなことでした。

確かに人との関係は楽しくもありますが、面倒なこともあります。(笑)

お釈迦様の生きた時代と今の時代、 同じ人の世ですが、現代では面と向かって誰かと一緒にいなくても、SNS等によって、一人で居る時でも知り合いとつながっていたり、誰かの書いた文章を読んだり、誰かが作った映像を見たりと、とにかく1人でボウ~っと何となく自分自身について考えてみる、そういった時間が極度に少ないと思います。

表面的であれ、これだけ他者とのつながりに慣れてしまった現代の私達には孤独というのは、あまりに厳しく聞こえないでしょうか。でも、いざ「本当の友達は?」 というようなことになれば、表面的なつながりにはたいして意味もなく…。

こういった現代だからこそ、そっと胸のポケットに忍ばすハンカチのように

「犀(サイ)の角のようにただ独り歩め。」