第1096回 「おひなさまはどこへ?」

3月2日

3月が近くなると、おひなさま展の告知をあちこちで見かけます。
先日立ち寄った香南市夜須町の「Rue Cafe」でも、離れでおひなさま展をしているということで、見せて頂きました。

庭から離れに入ると、おひなさまの赤い毛せん(もうせん:敷物)と華やかな人形がパッと目を引きます。お店の方が「これは珍しいですよ」とお勧めくださった「御殿飾り」に期待があふれます。正式には「御殿飾り雛(ごてんかざりびな)」と言うようです。

ご覧下さい、この豪華な作り!確かに元から御殿飾りが段飾りになっているのは珍しく、私は初めて見ました。

内裏びな(天皇・皇后になぞらえた一対のおひなさま)を飾る館のことを京都で御殿と言うそうで、御殿飾りとは、そこにおひなさまを飾る形式です。江戸時代後期から昭和にかけて作られ、特に明治から大正期に西日本で愛でられたようです。何とも手の込んだ、日本らしい優美さにあふれていますね。実は私のおひな様も もっと簡素でしたが御殿飾りだったので、思い入れもひとしおなんです。

こちらのおひなさまは56年前のものだそうで、計算すると1968年、昭和43年頃に特注されたようです。日本玩具博物館のホームページによると、御殿飾りは昭和37~8年頃に姿を消していったようです。いわゆる段飾りなどに移行していったのでしょう。段飾りの形式も取り入れたこちらの御殿飾りはなんともきらびやかで、この形式では最後期のものかと思われます。

なぜ特注とわかるかと言えば、家紋が入っているんです。土地の裕福なお家からお借りしていると言うことで、人形が座っている黒い段やお道具も今ではプラスチックですが、こちらは木製です。部品が細々と分かれていて、組み立てるのに2時間もかかったとか。一見の価値があるおひなさまです。

ふと見ると、このおひなさまの横にかけられていた掛け軸も面白いなと思いました。80年前のものだそうです。

上から、内裏びな、三人官女、五人囃子と来て、右大臣と左大臣…あとの3人は誰でしょうか。その下はわかります。右半分が「高砂」のおじいさんとおばあさん、長寿と夫婦円満 の縁起物ですね。左半分はなぜか浦島太郎と乙姫さまなのが微笑ましい(笑)

こちら、正式には「雛段図掛け軸」(ひなだんずかけじく)と言うようで、昭和30年代まで各地で見られたようです。豪商などと違い、美しい衣裳を着たひな人形が高嶺の花であった庶民にとって、こうした掛軸はそれに代わる品物だったのでしょう。女の子の健やかな成長を願い、市松人形なども一緒に飾られたようです。

おひなさまの冠が鳳凰で豪華。そして、三人官女の髪型が珍しいですよね。よく見られる長く垂らした髪を後ろで束ねる「おすべらかし」ではなく、島田っぽい。より身近な髪型にしたのでしょうか?考えると、実に面白いです。

その後 安芸市へ足を伸ばしたとき、偶然あるお店のショーウインドウでおひなさまの掛け軸を目にし、写真を撮りました。ちょっと この掛け軸に魅了されていたんです(笑)

三人官女の髪型がまた違うなあ…とじっくり見て、衝撃が走ります。

「おひなさまは、どこへ!?」

主役がいない。こんなことがあっていいのでしょうか!?なぜ?

帰ってからパソコン検索を駆使し、調べてみました。画像検索でいくつか同じようなおひなさまの掛け軸を見つけ、その中に内裏びながいないものがありました。でも、その理由がわかる文章は見つからず。

もう一度写真を見返すと、飾り台の上に白いテープのような名残があります。ひょっとして、ここに内裏びなを貼り付けていたのでしょうか?

再度検索すると、オークションの説明が目にとまりました。画像はないものの「1920-40年代 お雛様掛け軸 押絵飾り 内裏雛不在」という文言が。

押し絵か!なるほど、それなら納得です。布細工の貼り絵ですよね。少しでも立体感と豪華さを出すため、押し絵の内裏びなを貼り付けていたのでしょう。そして、1920~40年代というと、不況や戦争で物資の乏しかった時代とも重なります。それでもなお、親の子どもに対する愛情を形として留めたかったのですね。ほっこりする結末でした。