第1060回 「メモは正しかった」

6月17日          中村 覚

机の上を片付けていると、小さな緑色のメモ用紙が本の下敷きになっていました。すでに存在も忘れているメモですから、そのまま捨ててもいいのですが、まぁ 念のため。
メモには走り書きで~

・記憶は長期間で変化するらしい。
・過去の記憶を正確に再生するのが良いとは限らない。

何かの本を読んだ時のものです。でも日頃の感覚からいえばちょっと距離を置く内容です。メモの右上に「思い出し笑い」と書いて、赤ペンで囲んでいます。よくわからないのは、肝心の何の本かを書いていないことです。メモの内容自体、既に初めて見ているような感覚ですが、この「思い出し笑い」については心当たりがあります。

段々と記憶が蘇ってきます。実は前々から、「思い出し笑い」って、スゴいなと思っていたのです。誰かに「そう言えばね」ときっかけをもらう必要がなく、いつでも一人で思い出せます。しかもずっと昔の事でもツボに入った話ですから、最近のことのように笑えて、二度お得。(笑)

これは20代前半の頃の話なので、もう20年は前のこと。
友人の友人に孔子を愛読している人がいました。友人の友人ですから私からすれば全くの他人。しかも会ったこともなければ、顔も知らない。それでいて20代で孔子って…。(笑)私からすればとても高尚に感じました。

この孔子を愛読している人の話をちょくちょく友人が私にするものですから、いつの間にか私と友人の間で「孔子の人」という呼び名になりました。本当は苗字で呼べば良かったのでしょうが、そこは友人の遊び心。

この「孔子の人」と友人のやり取りを、今もたまに思い出して笑ってしまうのです。
20代の頃ですから、日々の雑感など とりとめのない話を「孔子の人」と友人がするわけです。そして後日、友人がその時の話題で面白かった所を私に話してくれます。友人が言うには、いつの頃からか会話の中に「孔子は〇〇と言った。」という表現が増え始めたとのこと。「孔子の人」からすれば、孔子が心の拠り所となり、その言葉を頼もしく感じていたのだと思います。

当初は、「へぇ~」ぐらいに友人も聞いていたものの、だんだん回を重ねるたびにちょっと違和感を覚え始めます。 友人からすれば、孔子の本の引用による、気の利いた表現や人生を理解するための近道?など求めていないわけです。暮らしの中で自分が考えることへの共感や、率直な感想が欲しかっただけです。

こういったやり取りが続く中、ある日 また頃合いを図ったように孔子の言葉の引用が始まります。友人からすれば、孔子の言葉は色々あるにしても、もう「孔子」にうんざり。(笑)

とうとう声を荒げて、怒髪天。
「俺は、孔子、知らぁんっ!!」

面食らったのは「孔子の人」です。
せっかく良いこと言ってるのに…。

私はこの話が20年の間ずっと好きです。友人の内に秘めた「金科玉条の孔子か何か知らんが、俺は俺の道を行くっ!」そんな気概を感じます。(笑)

~で去年20年ぶりに「この話、今でも笑えるで」と友人に話すと、クールに
「中村、それ、違うぞ。」
面食らったのは私。

私 「…なにが?」
友人 「声なんか荒げていない。」
私 「なんで?」
友人 「メールでのやり取りだったから。」

「孔子の人」は県外で暮らしていたので、やり取りはもっぱらメール。
だから声を荒げるわけがない。孔子のことはよくわからないので、ちょっと控えてほしいみたいなことは確かに書いたが…。などと、淡々と当時を振り返るのです。

何それ? 俺の記憶と全然違う!20年、信じて疑わなかった笑える話が
全部ウソ? 困る。今後、この話で笑えないことが一番困る。今さら引くに
引けず、もうイタチの最後っ屁です。
「でも、俺の話の方が面白いろ?」

・過去の記憶を正確に再生するのが良いとは限らない。

本の内容を鵜呑みにするわけではないですが、メモは正しかった。(笑)