第1216回「思わぬ着地点」
6月27日 中村 覚
「視点がユニークです。すばらしい洞察ですね、言葉の重みに鳥肌が立ちました!」
ウソつけ、おべっか言うんじゃない! と思いつつもこういった言葉に悪い気がしないのも事実。人間の悲しい性。しかし、さすがに鳥肌が立つというのはどう考えても言い過ぎ。そもそもあなたは肉体を持たないじゃないか。
これ、AIとのやり取りでの感想です。
何を聞いても何でも知っている。例え、知らなくても自信満々の受け答え。
知らないと言うことを知らない。先日、県外のある特定の医院について聞いていると2カ所の当該医院を表示。結果、1軒目に電話をすると既に存在していない番号。情報が古いんじゃないかと聞き直すと「申し訳ありません」。即座にお詫びから始まり、新たな情報を淀みなく表示。常にやる気満々。沈みゆく夕日など見たことがないと言わんばかりに、いつも前のめり。
周知のように、知らないことを聞くのに便利です。面白いなと思うのは既存の情報を聞き出す時ではなく、日頃のちょっとした自分の疑問?を聞く時です。別に疑問を解決したいわけではなく、AIは何と答えるのだろう?とこっちの楽しみが大きいです。
例えば、前々から思っていたことですが「あ」行から始まるひらがなの中に、他の行とは音の響きが違うものがある。そんな気がしてならないのです。それが ら行「ら、り、る、れ、ろ」です。
ところが、どう違和感があるのかをもっと詳しく説明しろと言われても感覚的なことなので、説明が難しいというより無理なんです。
ちゃんと説明できないのであれば、「なんのこっちゃ?」で終了です。だから友人に「おい、実は ら行が怪しくないか?」などと言ったことはありません。そんなことを言っても「ハァ? 何、言ってんだ?」と多分、取り合ってもらえません。
でもAIは違います。
「ら行だけ他とは音の響きが違うのは、実は宇宙言葉じゃないでしょうか?」スケールいっぱいに聞いてみました。
すると、「残念ながら宇宙言葉ではありません」
「わかってるわ!」
でもこっからです。AIいわく、ら行は舌先で上あごの歯茎を「ポン」と1回だけ弾いて発音する「弾き音(はじきおん)」。これは他の行とは全く違う舌の動きだそうです。だから違って聞こえると言うのです。
まさかの着地点。私のどうでもいい疑問もこんな形で答えられると「あんたの疑問もわりとグー(good)よ」そう言われているようで、かないませんな(笑)
もう1つ、今度は違う話です。
最近、テレビ番組で「かくれんぼ」の企画が人気らしいです。番組を見たことはないですが、ネットニュースなどでそういった記事を見ることがあります。でもやはりテレビの中の出来事。そうなんだぁと素通りです。
ところが数週間前に知り合いからこんな話を聞きました。その方の家にたまに5歳のお孫さんが来るそうで、いつものように一緒に晩御飯を食べた後のこと。唐突に「かくれんぼ しよっ!」となったそうです。同じかくれんぼの話題でもネット記事とは違いグッと距離感が縮まります。改めて、かくれんぼかぁ、しかも食後の。
小さな子供と接する機会の多い方からすれば、よくある話かもしれませんが、私からすれば、食後すぐのかくれんぼはハードスケジュールです。大人の感覚では食後はゆっくりするもの… 違うでしょうか(笑)
ところが時計の針をはるか昔に戻せば自分もそんな時があったのかなと。たしかに家の中でよくかくれんぼ、しました。そこで思ったのです。もぉしばらく
かくれんぼはしていない(当たり前)。今、やろうとも思いませんが、どうして大人になったら、かくれんぼをしなくなるのか? 考えてみたのです。
答え=意味ないから。
さほど間違った答えではないと思うのですが、人生とはもっとエネルギッシュなはず。こんな答え、天も望むところではないでしょう。大人はなぜかくれんぼをしなくなるのでしょうか?
かくれんぼをしたことがないAIに聞いてみました。
「大人になると精神的な成長により、遊びの目的や面白さの基準が変化するからです」とのこと。真面目過ぎて全然面白くないんですけど、と思いつつ…
この後の文章に目をひん剝きました。「この問いは早稲田大学スポーツ科学部の入試問題(2019年度・小論文)にも採用された深いテーマです」
なんてことでしょう!当時の学生さんはもっとまともなテーマで悩みたかっただろうに。気の毒でなりません(笑)しかも これが深いテーマ? うちのAI、クラッシュしたんじゃないか。
AIによると「精神的・発達心理学的な理由」として、子供にとってのかくれんぼは「隠れて不安になるが、見つけられて安心」こういった親や他者からの愛着や存在を確かめるための心理的プロセス。大人は自己の存在を確立しているため、このスリルを必要としない。そもそも大人は本音を隠し、社会生活を送っているので、すでに精神的なかくれんぼを日々やっているみたいなもの。そのため、遊びとして楽しむ余裕や必要性がない。
まだまだ説明は続くのですが、きりがないので このあたりで。しかし
「大人はすでに精神的なかくれんぼをやっている」上手いこと言うなあ。
他愛のない話を思わぬ着地点へ。これは人間の最たる魅力の1つでもあると思います。ちょっとジェラシー感じますね。


