第1217回「高知健康科学大学への想い」

7月4日

昨日、私は長年お世話になった 高知健康科学大学の講師を卒業いたしました。
高知健康科学大学は、1994年に開学した土佐リハビリテーションカレッジを前身とし、理学療法士、作業療法士の育成を中心に2024年に開学した大学です。

今は香南市となった香我美町山北に最初の土佐リハのキャンパスがあり、2003年から当時片道1時間弱かけて通ったものでした。みかん畑の中のキャンパスはこじんまりとしていて、良い環境でした。意識の高い社会人学生もいて、初回 学科長にご案内いただき始業数分後に教室に入ったら「先生が遅刻していいのですか」とレポートで鋭い指摘をされたのが忘れられません。以降、必ず時間前には教室入りすることを肝に銘じています。

当時の私は研修講師として独立して数年後。企業研修が中心だったので、基本は1回限りの研修でした。少し前から高知女子大学(当時)での講義も行うようになり、大学生との関わりを頂くようになったところでした。当初はビジネスマナーの延長として「医療コミュニケーション」の講義を2回担当させていただいていました。

2009年には、現在の高知市大津(土佐女子短大の跡地)に移転し、より学生も集まりやすくなりました。その後、「医療コミュニケーション」の講義内容は3回に増え、医療人としてのマナーやコミュニケーションについて学び、最後に松葉杖歴10年の中村と脳性麻痺の娘の育児を語る私の「障害体験」のケーススタディを行い、寄せられた質問に答えるというようなカリキュラムになりました。80を超す質問が出て、二人で懸命に答えていったものです。

「筒井先生と中村先生のお話を聞かせていただくと、患者さんの求めるもの、意外だと思った日常生活の辛いこと、してほしくないことを具体的に知ることができ、自分がセラピストとしての気遣いのスキルを伸ばす糧になりました」
「患者さんの人生をみてほしいと言われた言葉はセラピストを目指す身として、何よりも意識していきたいと思っています」など まっすぐな思いが伺え、微笑ましかったです。

一番大変だったのは、やはり2020年、コロナ禍に見舞われたときです。医療現場で必要なコミュニケーションをワークも交えてやってきたのに、言葉以外のコミュニケーションで特に重要な表情が、マスクで隠されてしまい、人と対面で話すのも良くないとされた時代。オンラインは免れたものの、対面講義やワークには神経を使いました。

マスク姿で臨みましたが、喘息持ちの私は何時間もしゃべっているとあまりの息苦しさに、軽い呼吸困難に。フェイスシールドなどを使って懸命に乗りきりましたが、何より学生時代の貴重な3年間をマスクで友人の素顔も見ずに過ごした学生さんたちは、どれだけ大変だったことでしょう。休み時間も交流できず、シンとした教室の冷たさは今も忘れられません。今は、にぎやかな教室にはホッとします。

忘れられない学生さんもいます。8年ほど前、Aくんが寝ているように見えて注意したら20分ほど中座して、最後にまた帰ってきました。後でB先生に自分の抱える問題としんどさを語ったそうです。自分自身や生活環境にジレンマがある場合、私たちの語る体験談がそれと重なるのか、辛くなってしまったのでしょう。でもそれは豊かな感性、中でもセラピストになってから必須の共感能力の表れでもあると思います。

私と中村は事情がわかってから、彼のために何ができるか何度も話し合いました。もう授業は終わっていたので、機会を作らないと会えません。できれば直接話をしたかったのですが、彼自身がそれにプレッシャーを感じるのでは?と、やめました。手紙も同じです。結局、彼に役立ちそうな本だけを送ろう、と決めました。

アンパンマンの作者、やなせたかしさんの「明日をひらく言葉」という本は、やなせさんご自身の劣等感、逆境、それでも前を向くことの大切さが書かれています。「Aくんの明日をひらいてもらいたい」という願いを込めて送りました。

B先生を通じてそれを受け取った彼は驚き、私たちの思いを聞くと目に涙をため「僕どうしたらいいんでしょう?あんな態度を取ってしまったのに、こんなにしていただいて」と言ったそうです。B先生がメールに書いて下さった彼の言葉に、すべて報われた思いになりました。

1年がたち、授業前に講師控え室でB先生と打ち合わせをしているとドアがノックされました。思いがけずAくんが、私と中村を訪ねて来てくれたのです。1年越しのお礼を言ってくれ、ニコニコと自然な笑顔の彼を見て、嬉しくて胸が一杯になりました。繊細な感性は、医療の現場に出たときには患者さまに寄り添える優しさになります。今も、私の宝物です。

その後 両学科で講義は計16コマに増え、交流分析や障害疑似体験、傾聴などペアワークをふんだんに取り入れたものになりました。3年生のカリキュラムも増え、前期・後期共にキャンパスに足繁く通わせて頂いたことも懐かしく思い出します。今年度、オーバーワークになったことで自分の年齢も考え、ここが辞め時だと決意しました。

「外部講師の先生で、こんなに熱い先生はいらっしゃらなかったです」とのC先生のお言葉が、何よりも私には嬉しかったです。

私をこの学校へ導いてくださり学生の変化に伴いカリキュラムを一緒にお考えくださったB先生、いつも笑顔で優しく学生のことを話し合ったC先生、事務で緊急対応を含め長年ずっと寄り添ってくださったDさん、そしてたくさんの学生のみなさん。

本当に23年間お世話になりました。ありがとうございました。
こういった貴重な体験を胸に、今後も研修講師を続けて参ります。

生活

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