第710回 「紫電改に思う」

8月20日           中村 覚

今年、71年目の終戦記念日を迎えました。小学校の頃、夏休みの宿題“夏のこども”の中に「戦後は戦前である」という言葉を見つけ、子供ながらに動揺し 漠然とですが ある種の怖さを感じたことを今も覚えています。あれから30年近く経過して、我が国を取り巻く環境も著しく変化する中 誰もが“戦前”に近づいてほしくないと願っているはずです。

710-1

ここは愛媛県愛南町、目の前に広がるのは久良(ひさよし)湾です。今から37年前の昭和54年にこの久良湾から日本海軍の紫電二一型、通称・紫電改が海底から地上に引き揚げられました。きっかけは養殖業者のダイバーが偶然、海底に沈んでいた機体を発見したことです。

710-2

破損した箇所が多くあったものの原型をとどめており、最小限の修復が施され当時の雄姿が再現されました。展示してあるのは馬瀬山(ばせやま)公園内にある紫電改展示館です。

710-3

館内の中心に鎮座する紫電改をぐるりと囲む状態でパネルや資料を交えて当時の時代背景などを学ぶことができます。紫電改の開発の経緯や海底からの引き揚げ時の様子は視聴することも可能です。

710-5

このプロペラが操縦席の方向に向けて内側に曲がっているのは海面に不時着したためであり、高い操縦技術をもったパイロットが乗っていた証拠とも考えられています。

ところで、そもそも紫電改とは? ゼロ戦なら聞いたこともあるけど…。こういった疑問をお持ちの方もいらっしゃるのではないかと思います。私もこの展示館に来るまで全く知らずにいました。最初に見た時、なんかゼロ戦に似ているけど、名前はズバ抜けてカッコ良いなぁと そんな具合でした。

710-9

紫電改は川西航空機が開発した局地戦闘機(陸上戦闘機)です。太平洋戦争も終盤の頃、それまで生産していた“紫電”を改良し 運動性能や操縦性をアップさせたものです。機体の高い能力が評価され、大増産体制が敷かれましたが、大戦末期の混乱もあり、生産されたのはわずか400機程度。活躍した期間も半年程で短かったようです。しかしこの短期間に色々なエピソードが語られ、今では日本海軍の航空機の中ではゼロ戦の次に人気がある機種だということです。

710-7

紫電改に乗り込み敵との交戦の結果、若い命を捧げたパイロットの写真もあり、館内は厳粛な空気が張りつめています。こういった空気感の中にいると、自然と自分が生まれてからの現在に至るまでの立ち位置のようなものを考えてしまいます。そして当時をそのまま語る目の前の展示物に対して、もっと真摯な態度で臨まなければと、そう思いました。ですが戦争体験のない私達世代は、少々頭でわかったつもりになっても…という思いはぬぐいきれません。

710-10

そんな時、かなりのご高齢の男性が杖をつき、ご家族の方に付き添ってもらいながら入館されました。すぐに中央の紫電改の前で立ち止まり、じっと見上げるような眼差しで御覧になり、ご家族の方と言葉を交わされていました。戦場へ行ったご経験をお持ちなのか、もしくは 本土を空襲するアメリカの飛行機を幾度となく見上げた少年時代を過ごされたのか。 とにかく この展示館にある物 全てを、私とは全く違う意味合いで御覧になっているのだと思いました。

710-8

最後に、この紫電改が日本で現存するのはこの紫電改展示館のみです。終戦時にはまだいくらか機体は残っていたそうですが、3機を残し全てアメリカ軍に接収され焼却処分されたそうです。残った3機は調査のためアメリカに送られ、今もオハイオ州やフロリダ州などの3カ所の博物館に展示されています。

人間は何事も基本的には自分が経験したことでないと わからない生き物だと私は思っています。しかしこと戦争に関しては、それは何の救いにもなりません。戦争を体験した方々がどんどん少なくなっている現在、戦争を踏まえての平和の価値観をどう後世に残していくのか、身に迫る課題です。

紫電改展示館

愛媛県南宇和郡愛南町久良1060 馬瀬山頂公園内
開館時間 9~17時  休館日12 / 29 ~ 1 / 1
入館無料