第738回 「想像力=イマジネーション。」

3月15日           (中村 覚)

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昨今、映画館で上映される一部の映画(ディズニー映画など)は吹き替え版があり、子供もちゃんと?楽しめるようになっています。昔は映画館で上映される洋画は字幕版のみでした。小学34年生の頃、当時人気絶頂だったスタローンやシュワルツネッガーのアクション映画を親に連れられて観に行ったものです。当然、字幕に出てくる漢字が全てわかるわけではありませんが、映像に見入って、いっぱしにわかった気になり、見終った後は「面白かった」と思ったものです。

今になって思えば、漢字のわからない部分は映像との兼ね合いで想像力を使い何となくカバーしていたのか? いやいやそんな上等なことではなく、漢字がわかる部分もわからない部分もゴチャ混ぜ、でも単純にトータル「面白かった」と思っていたのか? 多分、わからない部分はイメージを膨らませて補足していた。つまり映画を観ることは想像力を養う機会にもなっていた・・・と、美化し過ぎでしょうか。

でも子供が特有のたくましい想像力を持っているとは思います。もう自分が子供だった時のことはわかりませんが、人のことはわかります。今年の初め、友人二家族と一緒に会った時です。それぞれに6才になる息子と娘が一人ずついます。大人を交えて かるたやトランプでひとしきり遊んだ後、子供2人で「○○ごっこ」が始まりました。その 「ごっこ」の最中に大人から「メダルをもらう」という流れになり、自分の親や私の所に来て「メダルをください」と何度かお願いしにきました。その都度「はい、どうぞ」「ありがとう!」何度もらっても とても楽しそうでした。でも実際にはメダルなんかありません。想像のメダル、空想の世界です。

このメダルをもらう遊びが2030分と、長く続いているのを見ている内に、自分の部屋に均で買っておいたメダルがあるのを思い出しました。均とはいえ、金、銀のメダルでズッシリと重量感もあるので、あげたら喜ぶかなと思い探しました。 が、どこにしまったのか わからず、結局 渡すことはかなわず。その時はちょっと残念に思いましたが、後から考えると、子供の想像力という意味では渡せなくて良かったかもしれないと思い直したのです。

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子供たちがもらっていたイメージのメダルは、それぞれの頭の中で出来上がっていて、そんじょそこらのメダルではおっつかない程、輝いていたはず。実際にはないだけにイメージするのはどこまでも自由、そんな楽しい空想の世界を邪魔せずにすんだのです。

なかったり足りなかったりと、そんな不足分を想像力で補って、頭の中に出来上がったイメージというのはある種、完成されているように思います。

大人の世界にもあることです。映画化された作品を観た人の中に、原作の方が良かったと言う人がいます。 せっかくの活字の自由な世界が映像で固定化されてしまうと「私のイメージと違う!」みたいな。(笑)

子供の頃にはふんだんに持っていた想像力、大人になってもまぁまぁ持っているであろう想像力。でも時系列で見た場合、どうも減っていく傾向にあるのではないでしょうか。

仮にそうだとして 増やすには? 鍛えるには? 目覚めよ、イマジネーション!ということで、想像力に関する事柄をこれまでの経験に照らしながらネットなどから大雑把に拾ってみました。

まず、一つめ「物事は目ではなく、心で見よ!」
これ ハードル高過ぎ。一休さんの和尚さんが頭に浮かびます。(笑)

二つめ、「リラックスした状態が大事」
これは経験として何となく納得です。有名な話ですが、アインシュタインやスピルバーグ監督はシャワーを浴びている時にアイデアが出たとのこと。

三つめ、「腹八分めに」
満たされ切ってしまうと、後は眠たくなるだけ。
心身両面で動きがストップしてしまいます。でも意外とこれが難しい。

最近知った おいしいラーメン屋さんに2回行きましたが、2回とも大盛りを頼みました。…気持ちだけはハングリーでありたい。

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どうも想像力はハングリーの中にありそうです。(笑)