第885回 「母の新聞記事ウラ話」

1月18日

私ごとですが昨年12月27日、84歳の母を高知新聞の記事で取り上げて頂きました。
300人育成 伝説のバスガイド」。母は旧土佐電鉄で バスガイドの育成に1983年まで、およそ30年近く携わらせて頂いた北岡香子(きょうこ)と申します。

母には子どもの頃からかなり厳しく育てられ、「怒られないように」が大きなモチベーションだったほどです。今でも日常生活でよく叱られることがあり、主人が「その年になっても、大変やなあ」と同情してくれるほど。(笑)もう80を超した母に「老いては子に従ったら?」と言っても聞かないし、まあその気概が元気な秘訣でもあるわけなのでしょう。

母に新聞取材のお話があった時「嫌だから、断ろうと思うんだけど」と相談を受けました。一体何の話をしたらいいのかわからない、今さら新聞に載るなんて嫌だとか、かなりごねてました。(笑)

でも、もう高知では途絶えてしまったバスガイド文化を語るには生き字引でもあり、覚えている間に少しでもそういったことをお伝えしておくのも大事ではないか、そして記事になれば教え子の皆さんも元気になれるのではないか、と説得して渋々取材に応じることに。昔の写真などを準備し、私は母の仕事年表を作り、いざ取材。しかしあまりに話が広かったせいか?10月から5回も時間をかけて頂いたそうです。

新聞に記事が載った日には、朝6時台から夜11時まで続々と教え子の皆さまや知り合いからお電話を頂いたそうで、1週間ほどそれが続き、母も喜んでいました。

母は15歳で土佐電鉄に入社し、高卒の同期に負けたくない一心で休日は図書館に通い、高知の地理と歴史を猛勉強したそうです。入社当時のバスガイドの原稿は、「ここは○○です」といった場所の説明だけだったため「人」をからめるとより伝わるのではないかと偉人のお墓に足を運び、土佐史談会に歴史の勉強に通いました。司馬遼太郎さんや宮尾登美子さんの文章などご本人に許可を頂いて参考にし、たとえば龍馬と姉など、イキイキとした会話文にしていました。

ガイド見習いの新入社員は、分厚いガイド原稿の冊子を必死で覚えたそうです。練習用バスに乗り、「ここからここまでの間にこれだけの原稿を語ると、目の前にパアッと太平洋が開けてくる」など計算された原稿を暗唱できなかった新人さんは、容赦なくバスから降ろされたとか。

「今だったら、パワハラで大問題だよね」と言うと、母は
「当時はそんなもんだった。ま、路線バスには乗って帰れたからね」と涼しい顔でした。(笑)

しかし、その母の気概が役立ったエピソードもあります。昭和27年 19歳でバスガイドをしていた頃、愛媛県三坂峠で観光バスがブレーキが利かなくなるアクシデントが起きました。視界が悪い中、母がカーブごとにタオルを振ってバスをゆっくり誘導して標高720mの峠を下り、事なきを得たとか。

そもそも母が「エンジンブレーキを使わないと」と運転手さんに助言したのに、気難しい運転手さんが(小娘が何を言うか、新しいバスでもあるし)と無視してフットブレーキを多用し、タイヤから煙が出たのだとか。
母は「他のベテランの運転手さんの話を伝えただけ」だったそうですが、その時の対応力を買われ翌年弱冠20歳でバスガイドの教育係を任せられたということでした。

月日は流れ 昨年、旧土電、現「とさでん交通」はバスガイドがついにゼロになり、長く続いた土佐路のバスガイド文化も終わりを告げたのでした。母は「いい時代に、いい仕事をさせて頂いた」と今も感謝しています。