第970回 「三余(さんよ)」

9月3日              中村 覚

車の運転の経験がある方にはわかってもらえると思いますが、ちょっと急いでいる時など、「なぜ、今日に限ってこんなに道が混んでいるんだ!」「なんで信号にこんなにもかかるんだ!」。なにか見えざる大きな力によって嫌がらせを受けているような気分にさえなったりしないでしょうか。(笑)

急いでいるのに、前の車がのろのろ運転。よく見ると先頭を走る車がのろのろだから、みんなでのろのろ運転。先頭の運転手さん、車内での談笑に花が咲きすぎていませんか? もしかしたらナビを操作しながら?もしくはスマホ?など色々と勝手に考えてしまいます。でも、先頭の車はちゃんと制限速度を守って走っているだけだったりします。急いでいる自分が自分をあおっているだけなんですよね。(笑)

こんな自分ですが、この間 銀行の窓口で書類の手続きをした時のことです。ちょうど担当してくれた方が少し慣れない職員さんで、しかも書類の対応をしつつ、外部からかかってくる電話にもその都度 対応しなくてはならない、そんな状況でした。そのため、けっこう時間がかかりました。

途中、「お待たせして申し訳ありません。」と声をかけてくれます。ところが、この時は時間に余裕があったので「あっ、急いでいませんので」とゆったりとしたものです。 手続きが完了するのに20分ぐらいはかかったかと思います。座ってただ待つ時間というのは、受け身なだけについつい実際の時間よりは長く感じるものですが、この時は余裕綽々(しゃくしゃく)でした。

~で当たり前ですが、この時、時間に余裕があると焦らないしイライラもしないということを再確認しました。 さらなる拡大解釈が許されるのなら時間に余裕があるだけで、人に優しくできる、かも…。(笑) どんな顔して、こんなことを言っているんでしょうか。(笑)

物質的な余裕、ゆとりとなると人それぞれ事情がありますので、なかなか難しいですが、気持ちとしての余裕なら 考え方次第の部分も大きいかなと思います。
最近知った言葉で「三余(さんよ)」というのがあります。意味は読書・勉強をするのに好都合な三つの余暇のことだそうです。その三つというのは

冬(年の余り)
夜(日の余り)
雨(時の余り)

この「余り」は、ひま・余暇の意味だそうです。季節や今日という一日の中、そして天候の中から ゆとりを探す。この心持ちがなんとも豊かだなぁと思いました。

その昔、まだまだ人の暮らしが自然としっかり二人三脚をしていた頃、否応なく農作業の手がゆるむ時期を指して言った言葉ではないかとも思います。でも実際どうだったかということよりも、現在の自分達に合うように解釈して中身もちょっと変えて、一概に読書や勉強にあてなくても…。とにかく自分にはゆとりや余裕がある、そう思える事柄に気をかけてみるのは良いなと思いました。

ところで、この「三余」のように三の数字が入っている言葉は意外と多いです。
三度目の正直、三拍子そろう、三本の矢、三人寄れば文殊の知恵、石の上にも三年など。 日常的に使わなくても、聞けば「ああぁ」と、どれもが有名どころ。そんな中に三余を入れたいなと思うのです。