第972回 「表現は違っても」

9月18日            中村 覚

まるで初めて聞く話が、実は2回目、3回目。最初に聞いた時からしばらく時間がたてば、きれいに忘れて当たり前?「これ、面白そう!」と思い、忘れまいとメモをしてもメモを見ないと全く思い出せなかったり、そのメモ自体をなくしたり…。机の上の本を久しぶりに開いてパラパラやると「一体誰がこんな箇所に赤線を引いたのか?」多分、自分しかいません。(笑)

こんなことがうずたかく積まれていく毎日ですが、不思議と1回聞いただけ、1回読んだだけなのに ずっと覚えている(もちろん一語一句違わずというわけにはいきませんが。)そんな事もたま~にあったりします。

数年前に読んだ本に「あなたがこの世に生まれてきた時、あなたは泣いて周りの人は笑った。あなたがこの世を去る時、あなたは笑い 周りの人が泣いてくれる。そういう人生を歩みなさい」というようなことが書いてありました。

確かに生まれたばかりの赤ちゃんは泣いていて、それを祝福する周りの人は笑っています。人生の最後を迎える時、自分の一生は充実していたと思えるなら笑顔で。 そして周囲へのサポートもできる限りやってきたのであれば、周りの人は悲しんで涙を流してくれるのでしょう。

はるか遠くそびえ立つ山の頂きを目指してがんばんなさいね、と言われている気がします。ん~でも、人というのは我が身ほどかわいいものはなく、気分屋でいい加減で怠惰で~と挙げればきりがなく…。良い話とは思いつつ、おい、誰か 代わりに行ってくれ。(笑)

次は 代表の筒井から10年ほど前に聞いた言葉です。「人生は、喜ばせごっこ」。これはアンパンマンの作者、やなせたかしさんの言葉だそうです。この言葉は私にとってかなり強烈で、(やなせさんが意図するところと違った解釈をしているかもしれませんが)自分なりにけっこう考えたのです。

やなせさんには若い頃に戦争体験があり、人間の嫌な部分をこれでもかと さんざん見てきたのだと思います。(戦争の体験は私では思いも及ばないです。)
そして戦後、売れない漫画家としての下積み生活が長く、アンパンマンのヒットに恵まれるのは70歳を目前にしてのことでした。どの業界も同じだと思いますが、ある程度の結果を出さない限り 周りからの風当たりは強く、自然と世間という実体のない影を見ずにはいられなかったと思います。しかしヒット作が出た後は、周囲は急に手の平を返したように~。

でも、やなせさんは「それでいいんだよ、そんなこんなもひっくるめて 人生は、喜ばせごっこ。 周りの人を楽しませることが、まわり回って結局は自分の幸せ。深く考え過ぎず、あんまり熱くもならないでね。 だって 『~ごっこ』で良いんだから、気楽にね。」 こんなふうに言われた気になり、それなら自分にもちょっとくらいできるんじゃないかなぁと思えてきます。(やなせさん、解釈 間違っていたらごめんなさい。)

最後に。人は子供の頃には親や学校の先生に、大人になれば同僚、上司、世間から評価され、最後の最後には閻魔さまの裁きが待っているとか。ずっと評価されっぱなし。(笑)

ところで、有名な「天国ッ!」「 地獄ッ!」とやっている閻魔さまですが、人を裁く時、ある基準があるようです。裁かれる人が生前どれだけ周りの人から「ありがとう」を言われたのか そこがポイントらしく、その数によって、あんな重大なことをポンッポンッ決めているらしい(笑)と、そんな話を聞きました。もちろん比喩としての表現と思いますが、とてもシンプルでわかりやすいなぁと。(笑)

~で、この3つの話、言い回しは違いますが、実は全部 同じようなことを言っているじゃないかと、最近考えるようになりました。

「東に向かえ。」じゃぁ私はバスで。あなたはタクシーですか。彼は電車らしいよ。昔の人はみんな歩いたんだって。「それではみなさん、それぞれ移動手段は違いますが、現地で会いましょう」こんな感じです。(笑)