第1007回 「出版への道①~入稿とボツ写真」

5月28日

第1000回でお伝えした追手前高校の伝説本の出版プロジェクトは少しずつ進み、今週やっと原稿が仕上がり、出版社に入稿することができました。まるで学生のように、原稿を提出できて心からホッとしています。

元々は追手前高校の貴重な建築写真を保存したいという願いから出発したものでしたが、いざ本にするとなると、写真だけでは物足りない思いがあり、では内容をどうするのか?ということで…長いこと手探り状態でした。昨年末に出版社に出向き、原稿を3月末までに仕上げると具体的に決めてからもなかなか内容が詰められず、2月までは1字も打っていませんでした。(笑)

2月に時間のゆとりができる予定だったので、そこで集中して進めようと思っていたら、家族が立て続けに新型コロナにかかり、それどころではない事態に。3月になって、ようやく本格的に原稿を作り出しました。一般的には原稿は少しずつ書き進めていくのでしょうが、この本の場合 大半は写真集で最後に学校の歴史や資料を紹介したいという思いがあり、ずーっと とっ散らかっている印象でした。

そこで、各章ごとにファイルを作り、そこに写真をどんどんまとめていきました。それを見ながら原稿を作っていったのですが、第3章で行き詰まったら第7章を進める、といった感じで自由に書いていったお陰で、ストレスはかなり抑えられたと思います。

反面、書き出すと夢中になり時間を忘れてしまい、目、肩、腰など体に無理が行きました。特に右目の視力はガクンと落ちてしまいましたが、まぁそれくらいは仕方ないですね。追手前の神様に捧げ物をしたと捉えています。(笑)

写真は3年かけて少しずつ撮りためていましたが、いざ原稿にしてみると、時計台など曇り空のものが多くて映えない。(笑)青空加工ができるとは知っていましたが「本にできるレベルじゃない」と、何度も撮り直しを重ねました。最後までかかったのは、意外かもしれませんが玄関です。たとえば、これ。

この3年間、いつも「高知総文」「四国総体」とかの青いノボリや禁煙の看板があり、せっかくの建築がすべて見えませんでした。またコロナ禍の時期と重なり、以前だったらなかった体温計、アルコールスプレーなどが中央にデン!とあります。まあ今の時期あたりまえなんですが、建築90年以上の校舎にとっては、一過性のものに過ぎません。

私は卒業生ですが部外者なので、それらを勝手に動かすのはためらわれ「また今度来たときに」で辛抱強くモノがなくなるのを2年以上待ったのですが、さすがにもう待てなくなり、許可を得て撮影の時だけ移動させて頂きました。

後でふり返ると、これらやマスクも「新型コロナが世界に蔓延した当時の、貴重な資料」となるのかもしれませんね。

こうしてできた原稿は160ページになりました。原稿を印刷して持ち込むと社長が「ここまで作るのも大変だったでしょう」「最後の参考資料まで作られてたら、僕らもやりやすいです」とねぎらって下さったのが嬉しかったです。

なお、本ができるのは10月で、価格は2千円+税となる予定です。
高知県内の書店にも置いて頂けるようですが、本屋で自分の本を見つけるとどんな思いになるんだろう?と不思議な気持ちです。(笑)