第1159回「ハイ、チーズ!ではない写真」
5月17日 中村 覚
前回の代表の筒井のコラムの真似事をしてみたいと思います(笑)
まずはこちらの写真をご覧ください。
高知県立高知丸の内高等学校の校舎です。
昭和39年頃の写真ではないかと思いますが、詳細はわかりません。私の母が丸の内高校を卒業していますので、在学中に手に入れたものではないかと。本人に確認をしてもなにぶん古い記憶なので、覚えていないそうです。
下に「MARUNOUCHI」と活字が入っていますので、写真ではなくポストカードです。ところで、なぜこれを見てもらったかというと、少し前に新聞の折り込みチラシにこんなのが入っていました。
「高知市の懐かしい写真を募集しています!!」(特に昭和20~40年代は大歓迎!)これを見て、そういえば昔の白黒写真がたくさん整理もされずに引き出しにあったことを思い出したのです。
自分が撮りためた写真ではないので、今までじっくりと見ることもありませんでしたが、これを機に応募できるような写真はないかなと。そんな時に見つけたのが、丸の内高校のポストカードでした。(これ、ポストカードではなく写真だったらなぁ)
たくさんの写真は、自分の親(現在79歳)が若い時に撮ったものなので、古さは申し分なく、私個人が見る分には親が若い、親戚の〇〇叔母さんも叔父さんも若いなど、けっこう珍しかったです。
でも、応募となると、当時が偲ばれるような建物や乗り物、流行りの商品など世相を反映するものが写っていないと価値は低いわけで~。結果、応募できるような写真は1枚もありませんでした。そもそも写真は個人で楽しむものだと思いますので、時代が下り俯瞰して見た場合、そこに社会的価値はあるのか?となると、だいたいの写真はこぼれ落ちるのではないでしょうか。
応募はできないものの、せっかくなのでこの写真をどうぞ。
多分、浦戸湾付近ではないかと思います。(昭和40年代頃でしょうか。)でも私が思ったのは、場所よりもなぜこんな写真を撮ったのか?ということです。というのも私が小学生の頃、カメラを持たせてもらい、動物園で好き勝手に写真を撮ったことがありました。出来上がったのは全部、動物しか映っていない写真ばかりで「写真というのは人を入れて撮らんといかん!」と親に怒られたものです。この船の写真、同じことが言えると思うのですが。
撮った母親は「いや、人は写っている。それにこれ、渡し船で。」たしかによく見ると操縦している人は写っていますが、小さ過ぎてきびしいものがあります。「渡し船? ホントかねぇ?」私の知っている渡し船はもっと大きいけど(笑)本人いわく 大人になるまで山で暮らしていたので、この景色自体が珍しかったと。「珍しかった?」それも、今、作った言い訳のように聞こえますね。私には珍しくない!
「じゃぁ、次、この写真は?」
「あんた、これは山歩き会の〇〇さんらと行った、田野町方面の野根山街道よね。昔、関所があったぁ、ほらぁ。」
なにを言うか! こんな人っ子一人、写ってもいない、どこにでもある木を撮っておいて、歴史ある場所にすり替えるとは何事ぞ。多分、お白洲でなら そう言われるでしょう(笑)
いや、まじめな話、この木だけの写真を見て、当時を思い起こす様子には驚きました。昨今のことでは、言った、言わないと言い合いになることもあるのに、軽く50年は前のことをこんなにも即座に感情を交えて。
何気ない写真も50年程、寝かしておくと化けますね。
写真の力って、スゴいなと思いました。