第1158回 「小津高校の校舎建築探訪②」

5月10日

前回に続き、昭和7年に建てられた高知小津高校のネオゴシック様式の校舎建築をご紹介しましょう。
(学校からも掲載許可を頂いています。ありがとうございます。)

当時の高知県庁は 東京市役所 学校建築科の狩野宗平氏を招聘し、昭和6年の城東中学校(現・追手前高)に続いて海南中学校(現・小津高校)の校舎を建築しました。

その旧校舎の保存棟の2階には、校史資料室があります。

ここは以前職員室として使われていたようですが、今はたくさんの貴重な資料が展示されています。

展示資料には「(設計者の)狩野は、関東大震災後の教訓を生かし東京の小中学校の建築を参考に、柱は3メートル間隔に仕上げ、強度と優美を表現した」とありました。確かに部屋の造りから、当時の力の入れようが感じられました。

私が目を奪われたのは、この広い空間を支える柱と見事な梁(はり)、そしてモールディング(帯状の縁飾り)です。

モールディングは市松模様を参考にしたのかと思いましたが、建築史家の川島先生がおっしゃるには「これは、デンティル(歯かざり)の意匠(デザイン)で よくあるものですが、ここでは二段になって しかも凹凸がひとつずつずれているという珍しいものです」とのことでした。

また、柱と梁の接合する「ハンチ部分」は、ご覧のように4段の段状になっています。

旧校舎の時代のハンチ部分の写真が飾られていましたが、立体的で華やかな装飾が施されています。元々は、このように細かい模様が多く付けられていたことがわかりますね。

そう言えば、小津高校の前年に建てられた追手前高校にも、同じような装飾があります。

こちらは2022年の追手前の校長室のハンチ部分です。段状ではありませんが、モールディングを含めて似たイメージですね。

撮影年は不明ですが、小津高校の天井の装飾材(シーリングメダリオン)。これは立体的な現物が保存展示されていました。シャンデリアも現存していますが、川島先生によると「形から昭和30年代以降のものではないか」ということです。

こちらは、追手前の校長室のシーリングメダリオン(2022年撮影)。小津のものよりは小ぶりです。

建築当時の海南中学校の講堂の写真もありました。この美しさ、見とれますね!

「講堂は、ミラノ大聖堂を模した優美なものである」との記述がありました。きっと、室内も見事だったんでしょうねぇ…。実際に見ることができず、本当に残念です。

撮影年不明ですが、空撮写真で学校の全体像もわかります。左下が講堂で、校舎の右上(東端)の屋上に写っているのは、私が見たいと熱望していた…

小津高校の奉安殿です!感無量。ずっと見たかったんです。残念ながらもう現存しませんが、1996年撮影の写真が残っています。
奉安殿とは、戦前に天皇と皇后のお写真(ご真影)と教育勅語を納めていた特別な施設です。昔はどの学校にもありましたが、ほとんどが戦後に撤去されました。

こちらは現存する、追手前の奉安殿です(2022年撮影)。小津高校も同じ形とは聞いていたのですが、本当にまったく同じと確認できました。真ん中の菊の紋章を、敗戦後GHQの命令で教員が削った痕がありますが「小津の方が深めに削っていた」というのも、伝説の通りでした。戦後80年がたち、奉安殿自体を知らない方も多いことでしょう。これも時代の流れですね。

こうして見ると小津と追手前は、兄弟校と言っても良いほど似ている校舎建築だと感じます。

写真は時代を映します。こちらは1948年(昭和23年)、敗戦後の転換期に校門に掲げられた横文字の門標【KAINAN MIDDLE SCHOOL】海南中学校と、その学生です。

「高知県立高知小津高等学校」、この表札一つからも長い歴史を感じられる校舎建築。

川島先生によると、近代建築の校舎は全国で150校作られ、そのうち140 校はもう姿を消したそうです。残された校舎建築は、大変貴重なものです。

「私も小津高校の校舎建築に前から関心がありましたが、初めて見られて嬉しいです」というお声も何人もの方から頂いています。改めて、小津高校の校舎は高知の宝なのだと感じました。