第864回 「高知追手前高校① 近代建築」

8月16日

先日、高知県立高知追手前高校の同窓会があり、その前に校内見学ツアーが企画されていました。時計台が大好きな私はもちろん、参加したのでした。

追手前高校は、1931年(昭和6年)に建てられた近代建築です。帝冠様式と言い、西洋建築に日本の城郭風の屋根を載せた時計台を持つ建物で、平洋戦争も昭和の南海大地震もくぐり抜け、もう88年。いまだに高校生達を優しく包み込んでいます。

これはおなじみの時計台を、道路と反対の北側から見たところです。

実は調べてみて驚いたのは、この貴重な近代建築の写真が時計台以外ほとんどネットに載っていないことでした。通常は公開されていないからかもしれませんが、あまりにもったいない。ということで、クリックで大きくしてご覧下さいね。
(白黒の3枚の写真は「高知追手前高校百年史」より許可を頂き、掲載しました。)

追手前高校は、1878年(明治11年)に開校した「高知中学校」が前身で、幾度か名称を変え、1922年(大正11年)に「高知城東中学校」と改称。明治の頃から、時計台がそのシンボルでした。

現校舎は1931年(昭和6年)、旧木造校舎から新しい鉄筋コンクリート造りに建て直されました。卒業生の濱口雄幸(はまぐちおさち)氏が2年前の1929年(昭和4年)に内閣総理大臣になったので、現役総理へのお祝いの意味もあったことでしょう。

珍しい、建築中の写真が残されています。(前の追手筋の狭さにビックリ!)

設計監修は武田五一氏(京都帝国大学工学部教授、明治24年卒業生)。施工請負の「東京 間組」社長は小谷清氏(明治25年卒業生)。このほか現場監督や県庁担当者も追手前の出身者が携わっていたそうです。

設計当時はあまりに凝ったので高知県の予算と折り合わず、時計台不要論や市街地移転論まで噴出したそうです。結局、請負金(約28万円)に対し実費が34~35万円を要しましたが、当時は全国的に見ても、ベスト5に数えられる中学校だと言われたそうです。

結局、間組は6万円ほど(今の5億円くらいらしい)の赤字となりましたが、小谷社長は「名誉な仕事だから」と気概と母校愛を見せたとか。こうした工事関係者の多大な尽力と母校愛により、校舎は完成したそうです。このお話は、心にズンッと響きました。

さて、時計台の下、校門をくぐると玄関ファサード(建物の正面)が。

趣のある大理石作りの車寄せです。太い大理石の円柱、天井など、非常に凝ったデザインです。

玄関は、何種類もの大きな大理石で敷き詰められています。

この見事な大理石の柱。なんでも追手前の建物の石は、そのまま標本になるくらい貴重なものだと地学の先生から聞いたことがあります。

玄関ホールに入ったところ。上に吊されている時計は、偶然私たちの卒業時に贈ったものでした。

玄関の方を振り向くと、こんな感じです。

入って右手には、中央階段と、事務室などが続く廊下があります。

廊下はダークブラウンの腰板が美しく、非常に印象的です。
ちなみに廊下上部に通っているパイプは、私の在学中にはありませんでした。

こちらは今も現役の事務室受付。書体まで昔っぽくて、ますますノスタルジックです。

玄関ホールにある、中央階段。装飾された木の手すりは昔のままです。
もしかしたら「アンパンマン」の作者、やなせたかしさんも触れたかもしれません。

私たちの在学時は、段も味のある木造だったのですが、そりゃあ90年近くたってるんですから さすがに保たないですよね。

昨年(2018年)が学校創立140周年だったそうで、中央階段の1階から2階までは、記念ギャラリーになっていました。学校博物館ですね。これについては、またご紹介します。

2階のどっしりとした手洗い場も、相当年季が入っています。レトロな雰囲気が、在学時から好きでした。アーチ型の大きな枠は、昔は鏡がはめ込まれていたのでしょう。段状になっているんですよ。

この日はたまたま、よさこい祭りの最終日でした。グラウンドには沢山の踊り子さんがいて、すぐ前の追手筋競演場に移動していました。

まだまだご紹介したいものが多過ぎて、まとまりきれません。
追手前高校シリーズ、あと2~3回お付き合い頂ければと思います。