第1179回「運命の○○」
10月4日 中村 覚
「運命の○○」この言葉から何を連想するでしょうか。後に続く言葉は自然とスケールの大きなものになるのでは? 人や仕事、場所など。でもそうとは限らないみたいです。先日こんな商品を見ました。
「運命のコイン」カプセルトイです。
裏表で刻印されている文字が違います。
「飯」の反対側は「麺」、「帰る」の反対側は「遊ぶ」という風に。
今まで、あったようでなかった、なかったようであった? そんなコインのおもちゃです。
「運命のコイン」とくれば、シチュエーションとしては映画等でお馴染み。
行く末を左右する決断の時、ユーモアを交えて結果をコインに託すコイントス。同じように、例えば今日のお昼は何を食べるのか? 迷った時はコインに託す。結果「今日は麺か」そうやって遊ぶのでしょう。
実は最初見た時、面白そうと思ったものの1個300円。今ではもう普通になってしまった300円のカプセルトイですが、その昔を考えると「1個200円だろう」と頭の中でなかなか納得がいかないわけです。実用的でない物には厳しく接しないと歯止めが効かなくなるので(笑)
ところが、一度は購入を見送ったものの、この商品、他の場所では全く見かけず、そうなるとこれはレア商品? 考えてみれば既に「パート3」。1~2が人気だったからこその続編です。買い逃すことは罪だと知り1個購入。そして後日、違う場所でパート1と2をたまたま目にします。これって運命?
そのまた後日、「パート3」がネットで全種セットの特価販売。これまた運命。定価割れしているのに買わない理由はなく、トントン拍子で運命に導かれます。そして過ぎ去った過去は自分に都合よく考えると同様に、買った物は優しく肯定的に見てやらねばなりません。持った時のずっしり感。
100円玉と比較するとこの厚みがなによりの証拠。300円でも決して高くはないと、得をした感じに思えてくるのが不思議です(笑)
並べて飾ると他の種類も欲しくなるソワソワ感。パート1,2はほとんど持っていませんから。でも飾って一通りやるべきことはやったので、これにておしまい。
違います。これでおしまいにすると宝の持ち腐れ(宝なのか?)。
実際のところ生活の中で、コイントスすることはありません。だいたいのことは自分で決めるからです(笑)じゃあ どうするのか。数枚選んで単体で写真におさめました。
アップで撮ると質感がより伝わり、水戸のご老公の印籠を彷彿とさせます。
これをLINEでのやり取りで、文字の替わりに使うのです。いつ使えるのか、使う時はあるのか、全くわかりませんが準備だけはしっかりと。
意外にも早くその機会が訪れました。ある日曜日の朝、友人とのLINEで、
「最近、腕の治療をして、すこぶる順調に完治に向かっている」と。「ただ再生している皮膚の上に傷痕として残っている部分がなかなか珍しい(グロい)から、見たければ写真を送る」というのです。「日曜日の朝にふさわしくない写真はけっこうです」「まぁそう言うな」「いや何事も程度モンよ」などとやり取りをしていた時です。写真が送られてきたら、すかさず運命のコインの写真を送ろうと。それがこちら。
かなりグロい写真が来るものとばかり思っていたので、「これで決まった!」と思ったのですが、送られてきた写真がそれほどではなかったため、こちらのオーバーリアクションになったのでした。でも予め写真を準備ができていたこと、友人にもコインの写真がおもしろいと言ってもらえて満足でした。
え?「もぅおしまいだぁ~!」の裏面ですか? 刻印されている文字ですか?
それはヒーローにぴったりの文言です。
どうでしょう?(笑)
「パート4」発売されないかなぁ。