第876回 「言葉の真意?」

11月9日              中村 覚

父が亡くなってもう7~8年たちます。たまに思い出すのは「覚、人と話す時はバカになれ」と私が高校の時分に何度か言われたことです。当時 それを聞いて「何を言ってんだか? バカをやったら周りからバカにされるだけで 一体何の得があるのか?」 内心そう思っていました。

それから時間もずいぶん経った時「あぁ、そういうことだったのか」とやっとわかった気がしました。「話をする時は 笑えるような楽しい話を自分からしろ。そうやって場を盛り上げて楽しく付き合え。人との和が また次の新しい人との出会いに繋がるから。」まぁ こんな感じの意味だったのではないかと思います。 父は会社勤めではなく商売をしていましたので、仕事に限らず 日頃からの人との繋がりは大事にしていたはずですから。まぁ商売してなくても人付き合いは大事ですけど。

ところが、こういう詳しい説明を省いて ただ「バカになれ」と言われたものですから、当時 意味が全くわからず、ちゃんと説明してくれたら高校の時にすぐわかったのに。(笑) 今となっては ただの昔話でしかありませんが。

でも、実は似たようなことが世の中にはけっこうあるのではないかと。本来の意味とは違い 誤解されて世に広まってしまう言い回しや言葉の数々。

有名?なのは「情けは人のためならず」
『人に親切にすれば、その行いは やがてまわりまわって自分に戻ってくる』というのが本来の意味。ところが『人に親切にしても相手のためにならない』と誤解されているようです。 んぅ~、字面をそのまま追えば そう聞こえます。

「憮然(ぶぜん)」
本来の意味は、失望してどうすることもできない。驚き あきれている様。
ところが、「不機嫌で腹を立てている様子」の意味で使われることが多くなったようです。

「潮時」
意味は 潮が満ちる時。引く時。 適当な時機。好機。ところが、「ものごとの終わり」として使う人が増えているようです。
「もうこの辺が潮時だな、あばよ!」みたいな感じです。

私はこれら2つ共 間違って使っていました。言い訳になってしまいますが、なんかそういう雰囲気を活字が持っているもんですから。(笑)

言葉は生き物。変化していくのは当然かもしれませんが、「間違って使っていますよ」と指摘されれば、すぐに直さなければと思うものです。意外と健気だったりします。(笑)