第1094回 「駄菓子屋にて」

2月18日        中村 覚

(※写真はイメージです)

高知新聞に、週に1回 自宅の庭を開放して「駄菓子屋」をやっている30代男性の記事がありました。昨今の子供たちの痛ましいニュースを見て、「学校以外にのびのび自由に個性が出せる場」をという思いから始められたそうです。

集まる子供たちは40人以上。好きな駄菓子を買った後は駐車場に並べた椅子に座り、各々が楽しむそうです。「学校で怒られてもここに来たら気分が変わる」とのコメントや、夕方 店を閉める時に周りに散らばったごみを拾う際、手伝ってくれる子供の様子など、読んでいて微笑ましくなりました。

こんな奇特な方もいるんだなと記事を読んで、さらにビックリ。自宅からすぐ(車で5分程)の場所なんです。まったく知りませんでした。

最近はスーパーやコンビニエンスストアでも駄菓子は置いてありますが、ゆっくり時間をかけて好きな物を選んで、店の外でみんなで食べる。こんな風景がどんどん少なくなっていると思います。何気ないこういったことが子供達には大事なことだろうと…。他人事のように書いていますが、自分だって子供の頃、駄菓子屋を巡るのがどれほど楽しかったことか。

今でもしっかり覚えている駄菓子屋での出来事があります。
昔はお店と言っても家で商売をしているので店兼家です。店の敷居はその家の敷居でもあります。ちょうど玄関辺りに駄菓子を置いて、おばさんが「いらっしゃい」。だいたいこんな感じでした。

小学生の時、自分が知っている駄菓子屋の中でも特に狭い店がありました。子供が4~5人も入れば、もう ぎゅうぎゅう。他の子は店の外でちょっと待っていてね。順番、順番。でもこういう店の方が魅力的でした。所せましと詰め込まれて陳列された駄菓子や天井から吊るされた品々に囲まれている雰囲気が、もう最高。

ある時、友達とこの店に行くと、先着のグループも居て なかなか店に入れません。1人出ては1人入る。何回かそれを繰り返す内、次はやっと自分の番。何を買おうか先に決めておこうと外から店の中をのぞき込みます。少しでも近くで見たい気持ちから顔だけでも押し込んでいると「コラッ、なにをしゆうぞねっ!」と日頃は優しい店のおばさんが怒りの形相。「敷居を踏んだらいかんっ!」
ギョッとして敷居を踏んでいる自分に気が付き、すぐに足をどけました。でも わけがわかりません。ただただ おばさんが怖かったのです。

後で知ったのですが、「敷居は踏んではいけない」。そしてこれも後で思ったことですが「こんなことは親が教えておいてくれよ。」今は敷居に限らず、物事に対して世代間ギャップを踏まえてのやさしい視点もあるかと思います。でも今から約40年前は子供・大人関係なく「敷居は踏んではいけない」これは当たり前だったのです。知らなかったけど。

ちなみになぜ、敷居を踏んではいけないのか。敷居を踏むと磨り減り、家の建てつけがゆがむことにもなるからだそうです。また敷居は世間と家を隔てる境界。違う言い方をすれば結界のようなもの。ですからやってはいけないのです。

おばさんにしたら常識過ぎて理由まで言う必要なし!でも踏んではいけないことをただの1回で強烈に教えてくれました。教えてくれたというか、怒られたんですけど。(笑)

駄菓子屋は社会勉強の場でもあったようです。