第1175回 「盛るノート」

9月5日
中村 覚

机を整理していると、もう久しく使っていないノートが出てきました。
もう2年にはなると思うのですが、当時、自分1人で盛り上がり、ちょこちょこっと書き込んだものの、すぐに飽きてしまったノートです。もちろん、何を書いているのか覚えているわけもなく。

100円ショップダイソーで売っていた「やれたこと記録ノート」A5サイズ。初々しさも感じ、面白そうだと。少しだけアレンジしたらもっと面白いかも。

表紙には『仕事、勉強、子育て、習いごとなどにぴったり!記入することで「自己肯定感」を高め、「自信」につなげます。』とあります。

ノートにその日やれたことを書き込むことの意味合いは、
ごもっとも、その通―り! ちゃんと理解できているつもりです。

ただ、誰しも年齢を重ねてくると、やれたことの充実感とは別に、やりたくてもやれなかったこと、やり残したこと、そういったことを考える時の心情にこそ旨みがあることにも気付きます。それは時間の経過とともに人への思いやりとなり、相手と接する時にはその人ならではの隠し味になっているようにも思います。ですから、「やれたこと記録ノート」から「やれなかったこと」に変更しました。こっちの方が深みがあるんじゃないかと(笑)

でも、そうは言っても、実際に書く段になると今日一日、できなかったこと、やろうと思ったけどやれなかったこと… ん~、こんなものはいくらでも出てきます。例えばイタリア旅行、ディズニーランドにも行けなかったし、お店のおいしいコーヒーも飲めていないなど、その数は「できたこと」の比ではありません。

あまりに多すぎるので、私の場合は要約して一番を決めるなら「今日は空を飛べなかった」となります。人間、空を飛べたらどれだけ楽しいか。飛行機で飛ぶんじゃないですよ、自分で飛ぶのです(笑)

これに勝るものはないので、次の日から「今日も空を飛べなかった」と毎日、毎日、書くことになります。実際に書き込まなくても もう結果は見えたので、ノートが白紙の内に「できなかったこと」から「盛るノート」に変えました。

日々、現実を直視しつつも解釈を変えて 自分寄りに物事を捉え直して生きる、暮らしとはそういうものだと思います。ところが、エネルギー値が低い時には自分寄りに物事を捉え直すことが難しく、現実に一杯食わされます。そうならないために、エネルギー値は常に高めておく。自分で自分を盛り上げる。これが「盛るノート」のねらいです(笑)

どんなノートもそうですが、最初の書き始めに失敗をしたくないので、書き込む前に考えました。「盛る」と言っても例えば、ラーメン屋に行ってラーメンを1杯頼んだという事実があったとして~

これを「ラーメンの特盛りとギョーザとチャーハンまで食べて心身ともに大満足!」と盛るのか? これでは現実に毛が生えただけでウソが目立ちます。そんなこんなを色々と考えて最初に書き込んだのは

「今日は吉岡先生の3冊目の出版記念パーティーへの出席」でした。
何もかもがウソです。
「盛る」というか「そういう人生もいいかな」的な内容になってしまい(笑)まあ これはこれで良いかと。

2日目には「もう 学問の道でしか生きられないのか。」
ウソにもほどがありますが、これ以上のことはないだろうと満足したようで
これを最後にノートは終わっています。

当初はこの手のことをもっと書こうと考えたのか、ノートの表紙の1番上に
修正ペンで(文筆業)と書いたみたい。本当に文筆業に携わっている人はこんなことは書きません(笑)

まとめ
100円のノートでけっこう遊べました。