第1206回「建築探偵のまなざし③~時計台と地震対策」
4月16日
武田五一について、円満字建築探偵がこんな興味深い話をしてくれました。
「武田は時計台好きでした。高知県尋常中学校(追手前の前身)で青春時代を過ごしたわけで、学校に時計台があるのは彼にとって 当たり前の風景だったのでしょう」
なるほど、と深く納得しました。
明治期の校舎(下)にも立派な時計台がありましたし、卒業生なら誰しも思い入れがあることでしょう。
昭和の初め頃は、まだ限られた人しか腕時計を持っていませんでした。そのため、昭和15年頃は時計台の時刻が狂うと先生が腕時計を持っている生徒に「誰にも知られないように時計台に登り、時計の針を調整するように」と頼んだことが資料に残されています。
大正14年、武田は京都大学の時計台を、建築学科初代教授として設計します。「その時計台は京大キャンパスのどこからでも見えるように設計されているんです」と円満字探偵は語ります。百周年を迎えた現在では「百周年時計台記念館」として親しまれています。
「だから追手前の時計台も、どこからでも見えるようにしたかったのでは…」
「同志社女子大学も、近くの電車から時計台が見えるように設計されています。高知も、近くに路面電車が走っていますよね?そこからでも見えるようにしたかもしれません」
その言葉に、ある写真を思い出しました。
昭和6年から20年頃に高知城から撮影された写真を見ると、当時は高い建物がほとんどありません。
電車通りから追手前までは約200メートル。お城から追手前も同じくらいの距離ですから、昭和初期には電車から時計台がこのように見えた可能性が高いのです。
建築探偵の推理は、ここでも冴えわたりました。
■ 図面が語る、驚くべき耐震対策
さて、追手前には当時の設計図面の写しが冊子として残されており、円満字先生は喜々としてページをめくっていました。
「これは二重・三重に地震対策がされていますね~」
「武田は耐震の研究をしていましたからね」
校舎が建てられた1931年(昭和6年)の8年前、1923年(大正12年)には関東大震災が起きています。その教訓が、追手前の設計にも色濃く反映されているのだそうです。
「実は戦前の方が、耐震基準は厳しかったんですよ」
「ええ!?本当ですか!」
思わず声が出ました。
関東大震災後、国策として復興局が各地に災害時の拠点となる建物を建てました。
「追手前もそうです。設計を担当した高崎技師は、復興局から高知県に来ていました。だから震度7の関東大震災クラスにも耐えうる建物として設計されているはずです。何重にも地震対策がされていることがわかります」
たとえば設計図では、3階建ての建物の下に地下室のような部分があります。
「こうして基礎を分厚くするのは、プリンをお皿に載せるのと同じ。揺れても全体が揺れるので、プリンは崩れないんですよ」 と、円満字先生は実にわかりやすく説明してくれました。
さらに、壁には×のように斜めの鉄筋が何本も入っています。(下の黄色い部分)
「普通はこんなに斜めに入れませんよね。聞いたことはあるけど、見たことないですね」
「筋交い(すじかい)みたいに斜めに入れて変形を防ぐんでしょう。合理的ですが、工期は延びますよ。これは本当に珍しいと思いますね」
■ “下駄履き構造”という再発見
「実はこの図面の中で一番面白いのは、下駄ですね」
「え、下駄って?」
追手前の敷地は軟弱地盤だったため、基礎を分厚くし、建物から横に1メートル張り出して、その2メートル下まで杭を打ち込んでいます。まさに“下駄の歯”のような構造です。(上の水色の線に沿った部分)
“追手前の校舎は下駄履き構造だ”と言われてきましたが、図面がその事実を裏付けていたのです。
校舎は東西に約100メートルと長く、長い建物は地震でねじれやすいといいます。 軟弱地盤が液状化しても転倒しないよう、張り出した“羽”で踏ん張る――これが転倒防止用のアウトリガーです。
「書いてないけど、地面の下は入念に地盤改良してるはずですよ。松の杭を縦に打って、その上に筏みたいに松を縦横にして、コンクリートで固めて、それから本体工事に入る。そういうことをやっているはずです」
■ 追手前の地下に眠る、もう一つの物語
こうした多重の耐震対策を知れば知るほど、驚きの気持ちで一杯でした。 そして何より、武田五一への感謝の念が自然とこみ上げてきました。
「地下室、斜めの鉄筋、その上さらに転倒防止を付けたというのがすっごく珍しいですね。話には聞いてたんですけど、本当にそれをやっていたのは初めてですね。地面の下ですから見えないんですよ。筒井さん、地下には入られたんでしょう?」
円満字先生は『追手前伝説』をしっかり読んでくださっていました。
「はい!入りました!地下水が溜まっていました」
「だからね、船なんですよ、確かに。すごく面白い」
「“追手前の校舎は、水に浮かぶ船だ”という伝説は、液状化対策の話が変化したものであることが、これでわかるのではないでしょうか」
「実際に1945年の南海地震に耐えたのですから、これらの対策が役立ったと言えるでしょう」
こうして円満字探偵は、築95年の建物に秘められた特徴と謎を、次々と読み解いてくださいました。
そして私も『追手前伝説』で最後の謎だった、地下構造の伝説の答え合わせが完結したように思います。
最後に見せてくださった追手前の時計台のスケッチ――屋根のライン、飾り柱、気品ある立ち姿。 そこには武田五一への深い敬愛が宿っており、後輩として胸が熱くなるほど誇らしい気持ちになりました。
円満字探偵、本当にありがとうございました。
そして改めて思うのです。 いま私たちが見上げている時計台は、ただの“古い校舎”ではなく、 武田五一の原風景と、復興局の技術者たちの知恵と、 そして時代を越えて受け継がれてきた人々の思いが折り重なった、ひとつの“物語”なのだと。
95年という歳月を静かに刻みながら、この時計台はこれからも、街のどこかから私たちを見守り続けるのでしょう。





