第1204回「建築探偵のまなざし①~武田五一の足跡」
4月4日
先日、追手前高校 校友会事務局の先生から「今度、建築家の円満字先生が校舎を見にいらっしゃいます」というお話を頂き、“追手前高校 校舎建築担当”を勝手に自負する私としては「ぜひ、伺いたいです!」と、お願いしました。
国の登録有形文化財でもある追手前高校の校舎は1931年(昭和6年)に建てられたのですが、その設計者は、県の高崎技師など数名の方々でした。その監修をしたのが京都帝国大学教授の武田五一で、追手前の前身「高知県尋常中学校」の卒業生でもありました。
(武田五一 1872-1938)
明治から昭和初期にかけて建てられたモダン建築の礎を築いた武田は、『関西建築界の父』とも言われています。(私はこの武田五一の人物伝を『追手前人物列伝』に書くようにと、先日亡くなった校友会特別顧問の井上閣下から託されています)
さて、円満字 洋介(えんまんじ ようすけ)先生は古い建築の修理・保存を専門とする“修復建築家”で、建物に隠された意匠の意味を読み解く“建築探偵”としても知られています。(※意匠とは、「見た目のデザイン」や「外観の工夫」です)
昨年7月、BSイレブンの「京都浪漫」という番組で『京都モダン建築 謎解きの旅~建築家・武田五一の足跡を辿る~』が放映されました。これは武田五一の勉強にうってつけ!と喜んで録画したのですが、そこで武田が設計した京大などの建築の謎を解き明かしたのが、円満字先生だったのです。明治24年卒業の武田に関する資料はさすがの追手前にも残されておらず、困っていたところへの朗報でした。
円満字先生はテレビで拝見した通り、ユーモラスな語り口の中に深い知性を秘めた魅力的な方でした。京都を拠点に建築家としてご活躍で、近代建築の魅力を一般の人にもわかりやすく伝える建築探偵として、KBS京都「京都建築探偵団」やNHK「新日本風土記」にもご出演。
ご著作には「京都・大阪・神戸、名建築さんぽマップ」などがあります。さすがは建築探偵、500以上の建物の見かたをルート別に提案してくれています。近代建築好きには嬉しい一冊です。
そして何より、武田五一の20年来の“追っかけ”とのことで、とてもお詳しいんです。
明治5年広島県生まれの武田五一は著名な建築家ですが、実は子どもの頃に高知にいたという詳細はなかなか調べられませんでした。しかし今回、円満字先生が資料にまとめてくださったので、その人となりも初めて知ることができました。
■高知時代
当時の司法省に務めていた武田の父親の転勤で14歳の時に高知に引っ越し、高知県尋常中学校に入学。3年後、大阪の第三高等中学校へ転校しますが、その後脚気のため高知に戻り、高知県尋常中学校に復学、19歳で卒業したとか。(当時の中学校は3年制ではなく5年制でした)
成績優秀で様々な賞をもらうほどでしたが、お父さんが転勤族だったとか健康を崩したとか、ご苦労もあったのですね。意外にも建築一筋ではなく、昆虫学者を目指した時期もあったんですって。そういう青春時代を高知で過ごしたようです。初めて、武田五一という人物の横顔を見た気がしました。
■東京帝大〜留学
その後東京帝大に入学、首席で卒業し、大学院を経て助教授になりました。翌年、新設の京都高等工芸学校に図案科の長として転任が決まり、文部省より命ぜられ研究のためにヨーロッパに2年間留学し、アール・ヌーボーなど新しいデザインを日本に紹介しました。
■教育者として
京都高等工芸学校の教授として、工芸近代化のための教育に取り組みました。その後京都帝国大学に新設の建築学科教授になり、多くの後進建築家を育成しました。現在の京大の時計台は、武田の作品でもあります。
■建築家として
教育の一方で、数多くの建築を手がけました。円満字先生曰く「武田の作品は簡単な指導をしたものも含めれば、リスト作成が嫌になって中断するくらいで、ゆうに300を超えています」とか。国会議事堂設計チームに加わったり、アメリカの有名な建築家 フランク・ロイド・ライトを日本に紹介したりする一方で、法隆寺や平等院などの古社寺修復もライフワークとして取り組んだようです。改めて、偉大な建築家だったのですね。
さて、円満字探偵は、どのように武田が監修した築95年の追手前高校の校舎建築を読み解いてくださるのでしょうか。次回をお楽しみに!




